第32回 「文化人類学との出会い②」

文化人類学研究室

 来日して2年が経った頃、内モンゴルの文化を研究していた大学院生松本康子さんとの出会いをきっかけに、文化人類学という学問を知った。松本さんはちょうど進学か就職か悩んでいた私の話を聞いて、自身の指導教官である鹿野勝彦先生を紹介するから、一度話を聞きに行ってみてはどうかと申し出てくれた。当時の私は文化人類学などほとんど聞いたこともなかったが、松本さんが説明してくれたその学問にはどこか惹かれるものを感じ、思い切って文化人類学研究室を訪問してみることにした。

 鹿野先生は、親身に進路相談にのってくださった。それまで中国では法律を、日本に来てからは研究生として国際政治を学んできたが、大学院では文化人類学を勉強してみたい。今になって考えてみるとずいぶん不躾な相談だったように思うが、鹿野先生は私の来歴についていくつか確認してから、丁寧な助言をくださった。「進路については慎重によく考えてください。興味があるのはとても素晴らしいことですが、スさんは文化人類学を学んだことがないようですので、まずは私が講義している「文化人類学概論」と「文化人類学特講」を受講してみてください。まずは基礎的な知識を勉強してみて、そこでやっぱり人類学が面白いと思えるようならば、受験を考えてみればどうでしょうか」。

 ひとしきり話を終えると、鹿野先生は席を立って文化人類学研究室を案内してくださった。学生たちが思い思いに勉強をする部屋と、たくさんの研究書が並ぶ書庫が続き部屋になっており、片隅には小さいながらキッチンもあった。なるほど「人類」について「学」ぶ研究室とあって、棚には頭がい骨の模型が並び、壁にはインドネシア、南アジアなど世界各地の織物や芸術品が飾られていた。私はなぜか、家に帰ってきたような懐かしさと温かみを感じていた。

 はじめての研究室訪問を終えて暇を告げるとき、鹿野先生は「いつでも遊びに来てください」と仰ってくださった。しばらくは躊躇もあったが、鹿野先生のほかインドネシアを研究されておられる鏡味治也先生、アフリカを研究されておられる中林伸浩先生、助手の西川麦子さん、新疆ウイグル自治区からの留学生ヨンさん、そして大学院の先輩たちはいつも親切にしてくださり、私もだんだんと図々しくなって1か月もすると常連組の仲間入りを果たしていた。

 研究室の書庫には多くの文化人類学に関する専門書が収められていたが、私はどこから手をつければよいのかよく分からず、鹿野先生に入門書を紹介してもらうことにした。鹿野先生はヨンさんに声をかけ、アメリカの人類学者が書いた概説書の中国語訳版をコピーさせてくださった。その本ではアフリカや太平洋諸島、アジア、南米などさまざまな地域の親族関係が紹介され、その構造の分析に多くの紙幅が割かれていた。主要国ではなくむしろ政治や経済の側面では周縁に位置づけられる地域が多く紹介されていて興味深かったが、そうした地域についての予備知識がほとんどなかったことから、具体的な情景を想像することは難しかった。また、そもそもなぜ家族や親族のことばかりが扱われているのかが分からず、親族構造に関する分析もあまり面白いとは思えなかった。なんとか最後まで読み終えてはみたものの、結局のところ自分は文化人類学を学びたいのか、あるいはさほど関心がないのか、それすらよく分からなくなってしまった。

 

文化人類学とは

 文化人類学を知るために読むべき本はどれなのだろうか。中国の大学では科目ごとに読むべき教科書や参考書が指定されるため、そうした迷いを感じたことはなかった。本を探すところから学生に任せるのも日本の大学教育の特徴なのかもしれないと思いながら、私は文化人類学の基礎知識を身につけるための読書計画を立てることにした。気軽に相談できる相手だった松本さんは中国へ留学に行ってしまったため、仕方なくひとりで研究室の書棚に並ぶ本の背表紙を順に読み上げ、気になったものを手にとってみては、面白そうな本をリストアップするところから始めた。そこで気になったことが、「社会人類学」を表題に掲げた本がちらほら見当たることだった。エドマンド・リーチという人類学者の『社会人類学案内』(長島信弘訳、岩波書店、1985年)という本が自習用に使いやすそうだったが、はたして「社会人類学」は「文化人類学」と同じ学問なのだろうか。たまたま研究室にいた学生に尋ねてみると、社会人類学というとイギリス流、文化人類学はアメリカ流の系譜を表現する呼び方だが、どちらも異文化をフィールドワークにもとづいて研究する学問という意味であって、基本的には同じ学問と考えてよいということだった。

 それを聞いて安心し、私はリーチの『社会人類学案内』を自習用のテキストに決めて読み始めた。機能主義、アニミズム、出自と縁組などはじめて聞く概念ばかりで難解だったが、ノートをつくりながら読み進め、およそ半年かけて読み終えたときには、自己流ではあったが人類学のエッセンスをつかめたという気がした。家族や親族が人と人とのつながりのなかでもっとも重要な役割を果たしてきたこと、牧畜や農耕、狩猟採集などさまざまな生業が人と自然との多様な関係をつくりだしてきたことなど、人類学ではごく当たり前でありながら深い意義を持つテーマが扱われてきたということも興味深かった。文字を持たない社会、近代的でない社会の研究から「人類」を理解しようとする学問としての姿勢を知り、遊牧生活のなかで育った私にとってはどこか誇らしさも感じることができた。

 『社会人類学案内』を読み終えてからは、研究室の本をできるだけたくさん乱読することにした。そんなある日、文化人類学研究室でもしばしば話題に出ていたクリフォード・ギアツという人の本を手に取ってみた。『二つのイスラーム社会――モロッコとインドネシア』(林武訳、岩波書店、1973年)という本で、とくにモロッコの遊牧民の日常生活や会話があざやかに描かれているのが印象的だった。小説のような筆致に惹き込まれたが、他の本を何冊も借り出していたので持ち出すことは憚られ、その場で何時間も読み耽ってしまった。それまでほとんど関心を持つことがなかったイスラームを、人々の生活を通じて垣間見ることができたのも新鮮だった。あくまで概説書だった『社会人類学案内』とは違って人々の日常が丁寧に描かれ、そうした小さな出来事の積み重ねから「社会」や「文化」といった抽象的な対象へと議論をふくらませていく展開が実に魅力的だった。そうしたアプローチが民族誌(エスノグラフィ―)と呼ばれ、人類学的研究の中心にあることは知識として分かっていたが、その面白さはギアツの著作を通じてはじめて実感することができた。

 研究室の書庫でさらにギアツの本を探すと、『文化の解釈学Ⅰ』(吉田禎吾他訳、岩波書店、1987年)という本が見つかった。読み始めは理論的で難しい内容かなという印象だったが、随所にベルベル人とフランス人植民者の生活風景など具体的な事例の記述が配されていたため、初学者の私でも何とかついていくことができた。ギアツによれば、ある地域の歴史や政治経済的な状況、特徴的な習慣などを網羅的に調べあげたとしても、それだけで文化を十分に理解したことにはならない。むしろ必要なのは、そこに暮らす人々にとって日常的な場面を深く掘り下げて理解することだと言っているようだった。

 リーチとギアツ、文化人類学研究室の書庫で半ば偶然に出会った2人の著作は、私に人類学の奥深さを教えてくれた。

 

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