第57回 「オンギー川で出会った人びと③―天の声に耳を傾けて」

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天の動物

 2011年の夏、私は大阪大学グローバルコラボレーションセンター(当時)の宮本和久先生とともにオンギー川流域にやってきた。同センターでは新たにフィールドスタディ・プログラムを始めることになっており、そのための視察に訪れたのだ。バヤサさんの両親に案内していただき、遊牧民のテントを訪問してまわることになっていた。

 ウブルハンガイ県の県庁所在地アルバイヘールから10キロほど行ったハンガイ(山地)で、私たち一行は100頭あまりのラクダの群れに遭遇した。この年は雨が少なく、とくに乾燥が厳しい南ゴビ県の遊牧民たちが、家畜を養うための水と草を求めて200㎞以上の距離を越えて放牧をしにきているのだという。冷害や旱ばつなどの自然災害に対処するために行われるこうした放牧はオトルと呼ばれ、通常の季節放牧よりも長い距離を移動して行われ、数世帯が共同で行うために群れの規模も大きくなる。これほどの数のラクダの群れを目にすることはめったになく、その迫力はまさに圧倒的だった。車の窓から身を乗り出してカメラのシャッターを押す宮本先生のそばに、クリーム色の毛並みのラクダが涙をこぼしながら歩いてきた。遊牧民に聞くと、そのラクダはイング(雌の成獣)で、つい3日前にオオカミに襲われて生後1か月半のボトグ(仔ラクダ)を失い、悲しくて泣いているのだという。

 ラクダは天の動物で、人間の本質的な部分を見抜く力を持っているとされる。宮本先生のそばに寄ってきた雌ラクダは、わが子を失った悲しみを分かってもらえると感じ取ったのではないか。そのラクダの持ち主はその場面を見て、「この人はボインテーホンだ」と口にした。ボインテーホンとは心が清く信頼に値する人のことであり、ラクダはそうした人に近づきたがるのだという。動物と人は、心の深いところで通じ合うことができる。モンゴルでは、それはごく当たり前のことなのである。

 ある日、バヤサさんの母方の親戚を訪れるとちょうど長男の結婚式の最中で、私たちも参列することになった。披露宴では遊牧民たちと酒と歌を交わし、夜更けまで楽しませていただいた。新しく建てたゲルに年をとった人が滞在すると縁起がよいとされるため、宮本先生はぜひ泊って行ってほしいとしきりに請われていたが、新婚夫婦の大切な時間の邪魔になってはいけないと固辞し、宿泊施設のある別のアイル(村)に移動することにした。深夜にようやく宿に荷をほどき、私は宴の興奮を落ち着けるため草原を歩いていた。夏とはいえ夜風は冷たく、火照った身体には気持がよかった。すこし草の香りがする透き通った空気を存分に味わう。そのまま星空を眺めてどれほど時間を過ごしたのか、ふと気づけば宮本先生が酒を片手にやってきていた。草原に腰を下ろして杯を重ねていると、遠くの山からオオカミの遠吠えが聞こえてきた。はじめは1匹だったが、次第に呼応する声が重なっていく。彼らはなにを話しているのだろうとぼんやり考えているうちに、夜は更けていった。

 

学生を連れて

 2012年8月、大阪大学の活動としてはモンゴルで初となるフィールドスタディ・プログラムが実現した。文理融合型のプログラムを目指しており、引率教員は工学がご専門の宮本先生と文化人類学の私、5人の学生も人間科学研究科と工学研究科の大学院生たちで、文系と理系それぞれのバックグラウンドを持つ参加者からなる構成をつくった。モンゴルの自然を身体で感じること、オンギー川の水質悪化やニンジャの出現など今日のモンゴルが抱える課題を現地調査と経験から考えること、そしてフィールドスタディを通じた出会いから人間とは何かという大きな問いに触れること、目標は広く、また大きい。さらに、訪れた地域がよりよくなるためにどうすればよいのか、学生たちとのフィールドスタディを通じて実践的な方法を考え、それを実現させていきたい。もちろん、それらは1度や2度のプログラムで達成できるものではないだろうが、継続のなかで少しずつ近づいていけるはずだと思っていた。

 ある夜、2人の男子学生が私の部屋のドアを叩いた。宿の離れにあるトイレに行きたいが、オオカミが吠えているので怖くて外に出られないという。確かに遠吠えは聞こえたが、遠くの山からのものなので心配はいらない。そう教えても、学生たちはまだ躊躇している。結局、学生たちをトイレまで連れていくことになった。私にとってオオカミの遠吠えとは、哀しさを湛え神秘的な世界を象徴するものだが、学生たちにとっては不気味で恐ろしいものとして聞こえるようだった。学生たちの安全には気を配っていたつもりだったが、自然への感性の違いまで想像して対応しなくてはならないのだと知らされる出来事だった。

 偶然のめぐりあわせか、翌日、その学生たちは実際にオオカミを目にすることになる。バヤサさんの叔父さんが馬でやってきて、「いま、オオカミを(儀式のための)犠牲にした。見に来ないか?」と誘ってくれたので、学生たちと一緒にゲルを訪れることにしたのだ。オオカミの肉や骨、毛皮はすべて珍重され、儀式に参加した人々の間で分配される。そのため私たち到着したころには、残っていたのは頭と目玉だけだった。このとき、私たちには案内役としてモンゴル国立大学の修士課程で文化人類学を学んでいたソスロさんが同行してくれていた。彼女はおもむろに手を挙げ、「目玉が欲しい」と言い出した。「オオカミはモンゴル人にとって聖なる生き物、テンゲリーンノホエ(天の犬)です。オオカミのすべてが聖なるもので、薬になります。祖母が教えてくれました。お前は本ばかり読んでいるけど、オオカミの目玉を茹でて食べたら悪くなった視力が良くなるよ、って。私も眼鏡をかけているし、祖母も長年目を患っています。だから、これで目をよくしたいんです」。そう言って、ソスロさんはビニール袋に包んだ目玉を大事そうに鞄にしまった。

 さらに、オオカミを狩った遊牧民にも話を聞いた。「このオオカミは、私のヒツジ4頭の命を奪った。バヤサさんの叔父さんの家畜の群れに忍び寄って2、3頭襲ったこともある。他の群れの家畜も殺した。賢いオオカミだった。3回ぐらいだろうか、みなで狩ろうとしたが失敗が続いた。オオカミは人間にとっても、ヒツジの群れやほかの家畜の子どもにとっても脅威で、いなくなってほしいが、特別な存在でもある。オオカミを殺せば埋葬するか、オオカミの皮を大切にして狩人に捧げたり、鞣(なめ)して保管したりする。オオカミの肉は村人たちで分けるのが慣習だ」と教えてくれた。

 また別のある日、車での移動中に休憩をとった時のことだった。用を足そうと草原に散らばっていく学生たちに、運転手が「あの山に向かっておしっこをしないでくれ」と声をかけた。訳を聞くと、その山の奥手は、亡くなった母を天葬と呼ばれるやり方で葬った場所なのだという。それは、遺体を白い布で包んで平らな岩の上に安置し、死者の身体はオオカミやクマ、キツネ、ネズミ、そしてハゲワシなどの鳥類に食べてもらうという葬法である。遺体を安置してから女性であれば3年、男性であれば5年はその場所に近づいてはならず、その期間が終わってから骨を拾って埋葬する。この運転手にとって遠くに見える山は母の眠る大切な場所なのであって、それを汚してほしくないという気持ちなのだろう。

 大学の授業では、あらゆる知識や情報は整理整頓されて教えられ、しっかり取り組めば論理的に理解できる。しかし、モンゴルのフィールドで学生たちが直面する場面や人々の生き方はむしろ矛盾に満ちているため、いくら頭を働かせてもそれだけでは理解できない。フィールドスタディ・プログラムでは報告書をしっかり書いてもらうとあらかじめ伝えており、学生たちも当初は座学の授業で課せられるレポートとさして変わらないだろうと考えていた。しかし、いざモンゴルに来てみるとなまじっかな解釈では歯が立たない出来事の連続に戸惑い、次第にどう筆を執ってよいのか分からなくなっていったという。自然とは何か、人間とは何か、そして自然と人間のつながりはどこに求めるべきか。自分が手にしていた枠組みでは捉えきれない現実を真剣に考えるなかでこそ、そうした大きな問いへと向かっていくきっかけがあるのだと思う。

 

白鳥の湖とガガ夫婦

 オンギー川上流域は、草原だけでなく湖沼や湿地帯、山地や森林など生態的な多様性に富んだ地域である。鉱山開発をはじめとする人為的な変化はそうした生態系のすべてに影響を与えており、人間と家畜だけでなく野生動物もまた生活環境の変化に直面している。

 鉱山開発の現場から30㎞ほどの距離に、ホンノール(白鳥の湖)と呼ばれる湖がある。毎年夏になると数百羽もの白鳥が飛来し、そこで番(つがい)で子どもを育てる。白鳥は縁起の良い豊かさの象徴とされるため、モンゴルでは人に害されることはない。湖に近づくと白鳥のしわがれた鳴き声が響き渡っているが、開発現場に轟く重機の轟音とは違って不安を掻き立てられはしない。ホンノールはシベリアで夏を過ごす白鳥たちが渡りの途中で羽を休める中継地にもなっているため、冬が迫る頃には各地から飛んできた白鳥も集って湖を埋め尽くすほどになる。モンゴル語ではこれをチョローガン(響きあう)と呼び、もっとも賑やかな様子を表現している。白鳥たちはチョローガンを終えるとある日一斉に南へと飛び立ち、ホンノール周辺に暮らす遊牧民たちは冬の静寂がやってきたことを悟るのだという。

 ウブルハンガイ県と首都ウランバートルを結ぶ幹線道路沿いに、ホンノールと水源を同じくする小さな池がある。どうしてかは分からないが、ホンノールではなく毎年この小さな池にやってくる白鳥の番が1組だけいる。私は2012年から毎年このカップルを目にしており、いつしか彼らの鳴き声から「ガガ夫婦」と名をつけて見守るようになっていた。ある年は2羽の子どもを育てており、また別のある年はガガ夫婦だけでひっそりと池に暮らしていた。幹線道路を走る車の数は年ごとに増え、鉱山開発の影響からか水質も悪化しているというが、それでもガガ夫婦はこの池を離れようとはしない。

 私はガガ夫婦の姿を見るたび、モンゴルの自然がいつかまたかつての美しさを取り戻す日が来るという希望を見出す。同じ気持ちかどうかは知るべくもないが、オンギー川上流で環境保護活動に従事するネルグイさんや周辺の遊牧民たちもまた、この番の白鳥のことを見守ってくれているようだ。ガガ夫婦が元気にしているかどうかという話題は、いまでは彼らとの間で毎年決まって交わす挨拶のようになっている。

 鉱山開発とニンジャという存在を知ってから、私は環境に関心を持ってモンゴルに足を運び続けてきたが、あくまで人間にとっての問題としてそれを捉えてきた。しかし、宮本先生のそばに寄ってきたラクダや捕らえられて解体されたオオカミ、白鳥のガガ夫婦など、オンギー川流域で出会った動物たちは、ラクダの視点、オオカミの視点、白鳥の視点で自然を理解するとどうなるのだろうか、という発想を刺激してくれた。そうした視点をきちんと追及できれば、もしかすると私たちと自然の関係もまた、これまでとは違ったものとして考えることができるのではないだろうか。

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ガガ夫婦のうちの1羽(2019年8月 撮影:トモルホヤグ・ダワードルジ氏)

残念ながら夫婦で一緒にいる写真が手元に見当たらなかった。

 

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