第60回 「地域に学び、地域とかかわる③」

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「実践」が育む力

 この連載の前半で紹介したように、私が少年から青年になる頃の中国は大きな変革期にあり、社会の秩序や人々の生活も安定してはいなかった。11歳で学校に通うため草原をあとにしたが、街に出たころは勉強よりもけんかばかりしていた。その頃の田舎町では、子どもたちは学校や出身地などごとに徒党を組んで互いに張りあい、街ですれ違うだけでも睨みあいになった。集団で果し合いのようなけんかをすることもあり、私はいつも一番に先駆けして相手の気勢を削ぐ役を買って出たため、大きなけんかのたびに駆り出されていた。

 そうした悪ガキ連中は、街角にたむろしてビールを飲んだりタバコを回し吸いしたりと、周りからみれば眉を顰めるようなことばかりしていた。社会に反抗したいという漠然とした気分も確かに持っていたと思う。それでも、むやみに騒ぎ立てたり、ものを壊したりということはなく、関係のない人に暴力をふるうなどもってのほかだった。子どもなりにやってよいことそうでないことの線引きははっきりしていたし、それはいまから振り返ってみても大きく間違ってはいなかった。むしろ仲間うちの強い絆こそが、わがままな考えや無茶な行動に歯止めをかけていたように思う。

 とくに親しい仲間は9人いた。みなモンゴル人でけんかが強く、街の悪ガキからは一目置かれる存在だった。誰かが肉を手に入れれば集まって食べ、お金が入れば酒を買って飲む。献身というと大げさな言い方になるが、仲間のためにもの惜しみをするなど考えも浮かばなかった。9人のなかで大学に進学したのは私だけだが、お前は勉強ができるのだからとことん頑張れ、とずっと応援してくれていた。

 大学受験のときの一幕は、この仲間たちとの忘れられない思い出の一つだ。数日にわたる試験のあいだ、彼らは直前まで復習に集中しろと言って自転車の後ろに私を座らせ、毎朝会場まで送ってくれた。最後の試験を終えて会場の門をくぐると、仲間たちが待ち構えていてねぎらいの宴を開いてくれた。ようやく緊張から解放されて久しぶりにいい気分で飲んでいると、ナラーという仲間が突然大声を張り上げ、みんなグラスを置け、静かにしろと言う。みれば、怖い顔をして壁にピンで留めてあった一枚の紙を指さしている。「試験はあと一日あるじゃないか!」。その言葉で我に返り、ナラーから手渡された試験日程表を読んでみると、確かにその通りだった。とうに日付は変わり、早朝といってもよい時刻だった。リーダー格だったジョロムトがすぐさまその場にあった酒瓶を集めて中身を捨て、呆然とする私を担いでベッドの上に転がすと、「起こしてやる。心配するな」と言い残し、みなを連れて部屋から出ていった。ひとり残された部屋は静まりかえり、ほんの数分前までの喧騒が嘘のようだった。

 翌日の試験ではどうしても耐えられず居眠りをしてしまったが、ぎりぎりのところで起きて切り抜けることができた。ナラーが正しい日程に気づかなければ試験を受けることができなかったし、ジョロムトが瞬時の判断で私を休ませてくれなければ、最後までやり通すことはできなかっただろう。土壇場の状況でも慌てずに最善手を打ってくれた仲間のおかげで、私は大学に入れた。しかし、彼らはそれを恩に着せることも、試験日すら把握していなかった私を責めもしない。試験に合格できてよかった、それがすべてなのだ。

 やりたいこと、やるべきことを余計な理屈に振り回されずにやる。常識やルールを墨守するだけでなく、人やものごとと正面から向き合う。逆境にあるとき、あるいは一から何かを作り出さねばならないとき、そうした身構えは大きな力の源になる。しかしそれは、いくら机にかじりついて勉強しても身につくものではなく、隅の方から社会を眺める経験こそが育むものであるように思う。

 

学生を「不良」にするフィールドスタディ

 大阪大学のフィールドスタディ・プログラムを続けるなかでは、フィールドで得た刺激をきちんと消化するだけの能力と知的好奇心を備える学生は多いものの、ナラーやジョロムトが持っていたようなしなやかな身構えが足らないということを常に感じていた。フィールドスタディは、ホテルと観光地を行ったり来たりするパッケージツアーとは違う。全面的に地域の人たちにお世話になるのだから、私たちもわがままを押し通すことはできない。事前学習で口を酸っぱくしてそのことを伝えていたとしても、いざ現場で予定していたスケジュールが変わると、すぐに不安になってしまう学生は少なくない。決められた予定に固執する態度は、ときとしてフィールドでの出会いの意味を矮小化させてしまう。自分たちの生活がある上で私たちの面倒をみてくれる現地の人たちは、「お客さん」の私たちよりもずっと気苦労があるはずだ。そんな風な気遣いができる学生はもっと少ない。面倒をかけても当然の顔をし続けていれば、いつか地域の人たちとの関係にもほころびが生じてしまう。

 フィールドスタディ・プログラムを、学生たちと地域の人たち双方にとって意味ある出会いのかけ橋にしたい。そのかけ橋を確かなものにするためにも、地域とのつながりを先輩から後輩へ受け継いでいけるようにしたい。そのためには、学生たちの受け身の姿勢を何とかしなければならない。もっと本気で相手と向き合い、かかわる覚悟をみせなければ、地域の人たちからはすぐに見透かされてしまうからだ。

 2014年、雲南でのフィールドスタディでは、私のなかでわだかまっていたそうした危機感が爆発した。シーサンパンナ州で野生動物保護の取り組みや山村に住む少数民族の文化継承についての調査を終え、1週間にわたって私たちに付き添ってくれた自然保護局長の楊さんがお別れの宴を催してくれたときのことだった。学生たちはテーブルに並ぶ豪勢なご馳走に驚きながらも、「おいしい!」を連発しながら楽しんでいるようだった。しばらくして、楊さんをはじめとして調査でお世話になった人たちがグラスを片手に席を立ち、テーブルを順にめぐって乾杯の挨拶をしはじめた。雲南にはお酒の席で興がのるとそうやって歩き回りながら乾杯をする習慣があり、調査のなかで学生たちも経験していたはずだった。次々と挨拶に来る現地の人たちと杯を交わしながら、学生たちも上気した様子でおしゃべりをしていた。しかし、ひととき交歓が続いた後はみなそれぞれの席に戻り、しばらくして宴はおひらきになった。楊さんの隣の席から宴会の様子を眺めていて、私は哀しいような、戸惑うような不思議な気持ちになった。1週間もずっと世話を焼いてもらって、お別れの宴まで準備してもらって、おまけに乾杯の挨拶にまで来てもらって、それでも与えられた席を動かずでんと構えている学生たちをみて、何とかして彼らを変えなくてはいけないと思った。

 その夜、私は2人の学生を部屋に呼び、君たちが今晩とった行動は間違いだった、とはっきり伝えた。その間違いとは何か、どうして間違いだといえるのか、納得がいくまで全員で議論しなさい。できるだけ厳しい顔でそれだけ言って、部屋から出ていかせた。実のところ、それはある種の賭けでもあった。人と人とのかかわり方に正しい答えはないからだ。こうすれば確実に相手に喜んでもらえる、というマニュアルなどありはしない。しかし、だからこそ相手に気持ちを伝えるために何ができるかを常に考えなくてはならないし、行動で表さなければならない。別れの宴で学生たちがどうすればよかったのか、正解は誰にもわからないが、それでも彼らができたことはいくつもあったはずだ。勝手がわからないから、恥ずかしいから、ちょっと体調がよくないから。そんな言い訳でごまかさず、お礼の気持ちを伝えるために必死で考え、行動してほしかった。どうすればよかったかではなく、心構え、身構えを議論するところにたどり着けるか、不安はあったが黙って彼らを見守ることにした。

 幸いなことに、このときの賭けは見事に成功した。シーサンパンナ州を後にして向かったプーアル市の調査では、学生たちの動きは見違えて積極的になっていた。調査に同行してくれたプーアル大学の先生たち、インタビューに応じてくれたお茶農家の人たち、車を運転してくれた人たちなど、フィールドでかかわる人にその都度しっかりお礼の言葉を伝え、お菓子や飲み物を差し入れたりと、細やかな気配りをみせるようになった。なにより嬉しかったのは、相手にも楽しんでもらえるよう意識し、笑顔で話しかける努力をするようになったことだ。もちろん、慣れない土地で旅をつづけながら気配りを忘れずにいるのは、口で言うほど簡単ではない。精神的にも肉体的にも負担は大きかったとは思うが、学生たちは最後までその姿勢を貫いてくれた。

 分からないことに囲まれて、頭でいくら考えても袋小路に陥ってしまうとき、身体まで萎縮しては何もできない。頭を鍛えるのもいいけれど、目の前の人やものごとそのものに反応できる力も磨いてほしい。それは言葉で教えられることではなく、楽しんだり悲しんだりしながら、ときには辛く理不尽だと感じる環境にも耐えながら身をもって体得すべきことだから、フィールドスタディこそが格好の訓練の場になる。そう感じてはいたが、学生に気づきを与えるきっかけがどこにあるのか、まだ確信は持てなかった。

 翌年、やはり雲南で実施したフィールドスタディで、それを掴むヒントを得た。日程も半ばを過ぎる頃には、このときに参加した学生たちも、雲南の人たちの献身的な歓迎に応えようと必死で頑張ってくれるようになっていた。なかには、慣れないお酒やタバコを口にまでして、雲南らしいコミュニケーションの輪に入ろうとする学生もいた。実は私も、日本ではあまりたばこをやらないが、雲南では勧められるまま口にするし、挨拶代わりに人に勧めることもある。その姿を見て、学生の一人が「先生って、たばこ吸えるんですね」とからかうように言ったので、私も調子を合わせて「そうだよ、もちろん酒もたばこもやるよ。不良だもの」と返した。学生たちは不良という言葉が気に入ったらしく、先生は不良だった、先生と一緒にいると不良にさせられると騒ぎ立てていた。なるほど、不良という響きは確かに面白い。「良い」と褒められることはないが、「悪い」とまでは言い切れない。かつての私は、ナラーやジョロムトはまさにそんな存在だった。どちらでもないからこそ、どちらのことも少しは理解できる。世の中がどんな方向に流れても、異なる文化のなかに身を置くことになっても、それなりに受け入れてやっていける。そんな風に捉えると、学生を「不良」にするフィールドスタディがあってもいいと思えた。なんだ、それなら得意中の得意、何も気負うことはない。いつかは「不良」の大集団をつくってやろうと決心したのだった。

 

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