第14回 「私はモンゴル人である」

馬頭琴物語

 図書館で働き始めて1年が過ぎた。閲覧室での仕事はだいぶ板についてきたのだが、夏にさしかかる頃からどこか身体の調子が思わしくなかった。結核を患ったことがあった私は大事をとり、2週間の休暇をもらってシリンホト郊外の牧場で静養することにした。弱っていた肺によく効くとされる馬乳酒の名産地だったからだ。ある夜、新華書店で買って持参した『ノートルダム・ド・パリ』を読みながら、ふとシンバイル君の言葉を思い出した。「毎週木曜日の夜、ラジオでベ・レンチンの『ウーリントヤ(黎明)』という長編小説の朗読があるんだ。素晴らしい作品だから聴いてみるといいよ」。その日はちょうど木曜だったので、早速ラジオをつけてみた。ウーリントヤではなかったが、馬頭琴の伴奏とともに初めて耳にする物語の朗読がかかっていた。どうやら、私の故郷が舞台になっているようだ。「メロンホーリン・ウルゲル(馬頭琴物語)」という名の、少年と愛馬をめぐる友情の物語*1。そう、日本では「スーホの白い馬」として知られる物語だった。私は幼い頃に親しんだウマたち、フフシンヘールやウールンボル(連載第5回参照)のことを思い出しながらその物語に惹き込まれていき、スーホが愛馬を失う場面では涙がこぼれた*2

 振り返ってみれば、幼い頃にも外モンゴルから届く電波を拾っては、「エージミン(おふくろ)」、「ウランバートル・ウデシ(ウランバートルの夜)」、そしてナチグドルジの「ミニノッタグ(我が故郷)」(連載第13回参照)など、ラジオから流れるモンゴルの歌や詩を楽しんでいた。1970年代の半ば頃には「レンガ」の愛称で親しまれたソニー製のカセットテープレコーダーも出回りはじめ、私より少し年長の若者たちはラジオ放送を録音しては交換し合っていたものだった。馬頭琴物語を聞きながら、私は幼い頃の記憶を辿っていた。モンゴル語の美しい調べは、故郷の思い出を鮮やかに蘇らせてくれるのだった。街を離れてやってきた牧場で思いがけず故郷の民話と出会えたことは、忘れられない夏の思い出になった。

 

チンギスハーンを知らないモンゴル人

 1981年の春、私は図書館で図書の分類整理についての研修を受けるためフフホトを訪れていた。ちょうど外モンゴルから劇団がやってくるというので、芸術学校時代の旧友たちと連れ立って舞台を見に行くことになった。洗練された滑らかな動作と独特の息遣いを備えた舞踏、繊細な心の変化を表現する歌は刺激に満ちていた。いくつかあった演目はいずれも素晴らしかった*3が、とくに「チンギスハーン」という歌劇には心を揺さぶられ、馬頭琴物語を聞いたときと同じように知らず知らずのうちに涙があふれてきた。演目がすべて終わると観客は総立ちになり、会場はやまない拍手に包まれた。私はそのなかで、舞台に立つ青年たちと私は同じモンゴルの血で結ばれているのだ、長年閉ざされていた国境を越えた交流が再び始まったのだと感じていた。 

 舞台を見終えて興奮しながら皆で感想を語り合うなか、私はふとステージの中央に掲げられていた人物の絵を思い出し、あれは誰なのかと尋ねた。するとモンゴル人の友人は、「チンギスハーンじゃないか!まさか知らないのか?僕らの祖先だぞ!」と怒ったようにまくしたてた。私は“モンゴル”に関してまるで無知だったことを思い知らされ、自分のルーツをもう一度見つめ直さねばならないと強く感じたのだった。

 

私はモンゴル人である

 シリンホトの職場に戻った私は、モンゴルの歴史を学ぶため、かつて同僚のオルナーさんが勧めてくれた『ホホ・ソタル(青史)』(連載第13回参照)に挑戦することにした。中世の歴史書『モンゴル秘史』を下敷きに、19世紀の文筆家インジナシがチンギスハーンを主人公に据えた小説として書き直したものだという。古めかしい言葉や表現が多く読解に悩むことも多く、読み終えるまでに2か月ほどを費やすことになったが、世界の歴史に燦然と輝く英雄の一生を知り、モンゴル人であることが誇らしく思えた。『ホホ・ソタル』を読み疲れたときの息抜きに読んでいた『トンゴルフ・タメル(清冽なるタミル川)』*4も、清朝の支配下からモンゴル人民共和国が成立するまでの激動を描いた大河小説であり、異なる時代の歴史を学ぶことができた。

 歴史文学だけでなく、モンゴルの芸術についてもできるだけ触れる機会を増やそうと意識した。ラジオでモンゴルの歌や詩、馬頭琴やモンゴル三味線の演奏が流れるとカセットテープに録音し、毎晩聴くようになった。これは何年か後の話になるが、芸術学校で2年先輩だったテンゲルさんが歌手としてデビューし、モンゴル語や中国語でロック風の歌謡曲を流行させた。そうした歌は、急速に“漢化”しつつあった私のようなモンゴルの若者の心をつかみ、テンゲルさんは一躍有名人になっていった。「ビー・モンゴルホン(私はモンゴル人である)」という曲は、次のような歌詞で始まる*5

牛糞の煙に満ちた遊牧民のゲルで生まれた。この果てしない荒野を、私は故郷と呼びたい。

 街に暮らしながらもどこかで故郷のことを想い、“文明”への道を歩みながらも草原の風景を忘れられない。テンゲルさんが歌うそうした葛藤は、私のなかにも確かにあったのである。

 

*1:モンゴルにはウマと人の結びつきを題材にした歌や物語が多くある。祖母がよく聞かせてくれた「フフシンホーホ(年老いた赤い馬)」などの歌は耳に馴染んでいたが、馬頭琴物語はこのときはじめて聞いた。

*2:久しぶりの草原で元気を取り戻した私は再び街での生活に戻ったが、馬頭琴物語のことが頭から離れず、書籍になっていないかどうか探し回った。モンゴル語の本は見つからなかったが、中学校の図書館で中国語版の絵本に出会い、シンバイル君と一緒に読むことができた。

*3:「チンギスハーン」のほか、「6時45分」という舞踏劇も印象に残った。6時45分に待ち合わせをした男女のすれ違いを面白おかしく表現した作品だった。芸術が社会主義の理想を表現し人々を鼓舞するための媒体であった文化大革命時代には、そうした日常がそのまま描かれることはなかった。私は、芸術にもいよいよ新しい時代が到来したことを実感した。

*4:『トンゴルフ・タメル(清冽なるタミル川)』の作者エルデンはロシアで教育を受けたモンゴル人であり、その作風はロシア文学からの影響を受けている。大きな時代のうねりを遊牧民の暮らしのなかに描こうとする『トンゴルフ・タメル』の表現法は、ミハイル・ショーロホフの『静かなドン』に通じるように思う。

*5:「ビー・モンゴルホン」の作曲はテンゲルさんの手によるが、詩はチムゲというモンゴルの詩人が書いたものである。

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