第29回 「日本からみた“20世紀”」

社会主義との再会

 鹿島先生の大学院ゼミを通じて国際関係論に興味を抱くようになった私は、まずは基礎的な知識を養うため初学者向けのテキストを使った自習を始めたほか、学部生向けの講義にも出てみようと考えた。関連する講義はいくつかあったが、中国からの留学生仲間の菅さんの勧めもあって定形衛先生が担当されていた「国際関係論」を聴講することになった。

 講義は定員40人くらいの小さな教室で行われ、しかも半分以上は空席だった。北京で学生生活を送っていた頃の学生で溢れかえる教室を想像していたので、初講義の日は拍子抜けしてしまった。人気がない講義なのかと思ったが、他の授業の様子を覗いてみても同じく閑散としており、堂々と机に突っ伏して居眠りをしている姿もちらほらみられる。当時の中国の大学生とは違って、日本の学生たちからは知識に対する熱意はあまり感じられなかった。

 寂しげな講義の様子には少し期待を裏切られたような気がしたが、何度か出席しているうちに講義の内容はとても奥深く、レベルも高いものだということが分かってきた。身体の大きい私は遠慮して後ろの方に座るようにしていたのだが、しばらくすると授業に集中したくて最前列に陣取るようになっていた。はじめの何回かは世界の一般的な情勢についての概説だったが、その後は地域ごとの歴史を踏まえた上での各論に入っていった。私にとって印象に残っているのは、講義の半ばで聞いた東ヨーロッパの民主化についての授業である。たくさんの配布資料を用いながら、ポーランド、ハンガリー、チェコなどの事例について詳しい解説がなされていた。東ヨーロッパの民主化と呼ばれる過程において、旧ソ連を中心とした社会主義陣営のなかで何が起こっていたのか、その背景にあった国際関係の変化とはどのようなものだったのか。定形先生は主要な研究の動向とご自身の分析を交えながら、丁寧に講義を進められていた。

 ソ連崩壊前後の東ヨーロッパに変動が起きていることは中国でも報道がなされていたが、民衆を刺激することを恐れた中国共産党が規制をかけていたのだろうか、具体的な動きや政治経済的な背景はほとんど知られていなかった。そのため定形先生の講義は私にとって実に新鮮で、これまで知りえなかった新しい事実と視点をもとに思考するきっかけを与えてくれるものでもあった。たとえばチェコでは、一度は「プラハの春」と呼ばれた社会主義の変革運動がソ連による軍事介入によって押しつぶされた。しかし、ソ連崩壊後に巻き起こった民主化のなかでは、かつて「プラハの春」を支持した元劇作家のヴァーツラフ・ハヴェルが大統領に選ばれたという。日本に来て初めて知らされたさまざまな社会主義国の歴史と現状は、社会主義とは何か、民主化とは何かという問いを私に突きつけるのだった。

 ある日の講義で、定形先生が資料を配る際に私の前で立ち止まり、「あなたは留学生ですか?」と声をかけてくださった。あわてて中国の内モンゴルから来て一年になりますと答えると、「この授業は国際関係論の基礎を勉強したことのある学生向けの授業だから、あなたにとっては少し難しい内容かもしれません。でもね、私みたいな頭がよくない人間でも講義ができるのだから、あなたにもきっと理解できるよ」と先生は続けておっしゃった。この言葉は、私にはっとさせられる印象を残した。「一日師と仰いだならば、一生父のように尊敬しなければならない」という諺があるように、中国では教師とは絶対の敬意を払われるべき存在だった。私もそう考えて学生時代は先生を敬ってきたし、教師になってからはときとして尊大な態度で学生と接することもあったと思う。そのため、私が知る限りこれ以上なく高い水準の講義をしてくださっている定形先生が、たとえ冗談だとしてもご自身のことを「頭がよくない人間」と卑下してみせたことにはとても驚かされたのだ。あえて堂々とした態度をとらなくとも、実のある授業をしていれば自然と学生にも敬われるようになる。そのことを諭されたようで、過去の自分を振り返って恥ずかしい思いをしたものだった。

 それからというもの、私は定形先生の講義にますますのめり込んでいった。鹿島先生から国際政治学の基礎的な枠組みを教えられていたことが助けになり、少しずつ授業の内容を掘り下げて自分なりの解釈をつくることができるようになっていった。これまで感じたことのない知的好奇心が沸きあがってくるようで、毎週の授業が待ち遠しかった。私は定形先生に感謝の気持ちを伝えたかったが、「先生の授業が好きです」とそのまま言いに行くのはどうも憚られた。そこであるとき授業のなかで質問をしてみようと考え、思い切って手を挙げてみたのだが、びっくりした様子で「どうしたの、トイレに行きたいの?」と先生から聞かれてしまい、恥ずかしい思いをしてしまった。しかし、その様子をみた先生が「質問があったら授業の後に私の研究室に来てください」と言ってくださり、ようやく感謝の気持ちを伝えるチャンスが訪れたのだった。

 その翌週、アルバイト先の中華料理屋「点心之家」オーナーの竹園さんから渡された中華風ゴマ団子を手土産に、私は少し緊張しながら定形先生の研究室のドアを叩いた。お茶を入れてもらってお話をしていくなかで、私が来日当初からずっとお世話になっていたある方と定形先生が友人だったことも思いがけず分かった。しかし、定形先生ご自身は次の年から神戸大学へ移られると聞かされ、もっと本格的に教えを請いたいと思っていたのでとても残念だった。

 定形先生の授業は1度も休むことなく出席し、毎回配られる配布資料を教材として自主勉強も続けた。おかげで1年が経つ頃には学術的な日本語にもかなり馴染むことができ、さまざまな国の政治体制について自分なりの理解を得ることができた。なかでも「社会主義」について、その優位性や正統性を前提とすることなく国際政治の歴史のなかの一潮流として捉える視点に触れたことは、それだけでも日本に来てよかったと思えるほどの収穫だった。社会主義を掲げた政治運動によって家族を引き裂かれ、しかし社会主義を絶対の価値とする教育システムのなかで競争を続けてきた私は、その矛盾を言葉にすることもできずに、ただただ政治というものを嫌い、そこから自らを遠ざけることしかできなかった。定形先生の講義を介してようやく社会主義と向き合うことができた私は、まさにそれまで歩んできた人生を振り返り、見つめ直すきっかけを得たのだった。

 

文庫本とビデオテープ

 鹿島先生、定形先生との交流からは、日本の学者が非常に実直かつ真摯に研究と向き合っているということを実感した。中国の研究者とは違って政治的な制約に縛られることなく、感情や利害から研究の評価を下すこともほとんどない。仮説を慎重に組み立て、日本国内だけでなく英語やフランス語の文献も用いて既存の議論を整理した上で、最小限の主張をする。そうした態度で研究に臨んでいるからこそ、授業を受ける側の私にとっても、先生たちの話は納得のいくものだったのだろうと思う。

 とはいっても、専門的な議論だけでなく常識的な話題でも理解できないところは、授業の度にかならずあった。授業が終わると図書館で関連する本を探すようにしていたが、講義で紹介された本などは貸し出されてしまっていることが多く、雑誌や小説などの蔵書も少なかった。もっとたくさんの本との出会いが欲しくて、アルバイトに行く道すがら、うつのみや書店に立ち寄って過ごす習慣ができた。ただ残念なことに日本では本の値段が高く、本屋で働く人には申し訳ないと思いながらも、私はほとんど立ち読みばかりのお客だった。面白そうな本を見つけては図書館で探しなおすか、しばらくひと月かふた月かけてお金を貯めて、ようやく意中の1冊だけを買うくらいが関の山だった。

 そうしたある日、うつのみや書店でふとまだ行ったことのない階があることに気づき、見に行ってみることにした。そこには、「文庫本」という種類の小さい本が並ぶコーナーがあった。中国でもポケットサイズの本は売られていたが、ほとんどは子供向けのものだった。しかし、ずらりと並ぶ本のタイトルを目で辿ってみると、歴史、哲学、政治と決して児童向けの内容ではない。興味を引くタイトルもちらほら目についた。肝心の値段はといえば、どれも500円前後と他の本に比べればずいぶん安い。これなら手が届くぞと思った。小躍りする気持ちで文庫本コーナーに並ぶ本を歩き回り、『東欧革命―権力の内側で何が起きたか』と『ソ連経済の歴史的転換はなるか』の2冊を買って帰った*1。期待にたがわず、どちらも読みごたえのある内容の本だった。

 もし誰かに日本に来てよかったかと聞かれたら、もちろん良かったと答えるだろう。その理由はたくさんあるが、すくなくともそのひとつは文庫本と出会ったからだ。少しアルバイトを頑張れば月に何冊かは買うことができたし、どこでも気軽に持ち運べる。もちろん、存分に没頭できるだけのしっかりした内容も備わっている。少し大げさかもしれないが、来日してからの1年あまり、たくさんの不安を抱えていた私にとって、文庫本はいつも身近にあって安心できる時間をくれる存在になった。友人からもらったこともあるし、友人にプレゼントしたこともある。うつのみや書店での出会いからいままでずっと、私は文庫本に囲まれて日々を過ごしている。

 またその頃、妻が金沢のある企業に勤めることになって少し経済的な余裕も出てきたので、お祝いにと29インチのテレビとビデオデッキを買うことにした。テレビがあればニュース番組で日本と世界の動向がオンタイムで分かるし、日本語のリスニングの練習にもなると考えたからだった。新聞配達を辞職してアルバイトも中華料理店の「点心之家」だけにしたため、夜更かしをしてテレビを観ながら日本語の勉強をする習慣ができていた。当時よく観ていたのはドキュメンタリー番組で、NHKが日中共同で制作した『シルクロード』*2や『大モンゴル』*3シリーズの再放送などは録画して何度も観た。そうしたなかでも印象深く残っているのは、1995年のNHKスペシャル『映像の世紀』全11作品である。2つの世界大戦やその後の冷戦にまつわる歴史的な場面から、表舞台には登場しない庶民の生活まで、膨大な映像資料から20世紀を振り返り、時代の流れを可視化してくれる番組だった。

 NHKのドキュメンタリー番組は、日本そして世界についての知識を身に付け、視野を広げる上で非常にためになったと思う。今ではほとんどテレビを見ることもなくなってしまったが、NHKスペシャル*4だけは毎回逃さず観るようにしている。

 

*1:三浦元博、山崎博康著『東欧革命―権力の内側で何が起きたか』(岩波書店、1992年)とセルゲイ ブラギンスキー, ヴィタリー シュヴィドコー著『ソ連経済の歴史的転換はなるか』(講談社、1991年)

*2:1980年代の日本で流行した番組として知り合いに勧められ、再放送を観ることにした。当時の私には番組の流れがよくつかめず、テーマソングだけが印象に残った。しかし、録画を何度も観るうちに仏教の伝播や東西の文明をつなぐ地域から見た歴史の動きなど、奥深い内容が少しずつ分かっていったように思う。

*3:チンギスハーンが築いたモンゴル帝国の興亡を描いたシリーズで、最新の研究成果をもとにモンゴル帝国の歴史的意義を問い直す作品でもあった。私はモンゴルに生まれながら、青年に至るまでチンギスハーンを知らなかった。自分のルーツにかかわる歴史の入門講座を受講しているような気持でこの番組を見ていたのを覚えている。

*4:金沢にいたこの頃は思いもよらなかったことだが、2018年に放送されたNHKスペシャル『人類の誕生』第三部では、微力ながらシベリア地域の研究者としてお手伝いをさせていただき、撮影にも同行することができた。映像をもとに世界を切りとる試みと、専門家の意見や史資料にもとづいて確実な視点を保とうとする姿勢には学ぶところも多かった。また、巨額な予算と優秀なスタッフの努力の集大成として番組が制作されていることも知った。

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