第30回 コラム③「時代と変化」

「終焉」

 私は平成4年に来日した。そして平成31年の今、平成は間もなく幕を閉じようとしている。日本で初めての留学生活は平成時代に始まり、日本人から勉強や暮らしのことなど色々と教わりながら、自分自身について、世界や日本について、あれやこれやと私なりに考えてきたつもりである。まだまだ考えるべきことはたくさんあるが、私たちの思考や価値観というのは経験の蓄積(とりわけ人的交流が最も大切だと思う)によって、また自らが置かれた政治的、社会的、経済的、文化的な環境のなかで影響を受け、変化してゆくのだろう。

 金沢大学で研究生をしていた時期、とくに1993年秋から2年間は履修科目が少なかったので、授業の予習や発表準備が済むと本屋に足を運び、本の背文字を眺めて過ごす日々を送っていた。本屋で過ごす時間は楽しかったものの、まだ日本語の読解能力が低く、基礎知識の不足から思想的背景への理解も浅く、読破できた本の数は決して多くなかった。振り返ってみれば、内容をしっかり理解できていたのかも疑わしい。

 そんな私にとっても、書棚に並ぶ本のタイトルは、当時の世相についてうかがい知るヒントになっていた。知識人を中心として世界が歴史的な転換点にさしかかっているという意識が高まっており、欧米諸国一辺倒ではなくアジアへの関心が高まりつつあったこと。しかしその一方で、バブル経済の崩壊によって世論全体としては内向き志向の傾向も強まっていたこと。日本語の読解能力はまだ不十分だったが、図書館や本屋で時間を過ごすなかで私が感じていた時代判断は、あながち間違ったものではなかったと思う。たとえば、当時どきっとさせられて印象に残った本のタイトルに、『歴史の終わり』*1というものがあった。

 この本がどのような背景をもとに著されたのか私にはわからなかったが、当時の話題本だった。政治イデオロギーの対立が終焉し、「人類のイデオロギー的な進展は終点に達したのであり、欧米の自由な民主主義が人類の統治形態としては究極のものであることを示している」*2ので、歴史は終焉したという。確かに人類は21世紀を目前に大転換期を迎えたが、中国では社会主義体制が維持・継承され、ロシアは中央集権体制を再構築しようとしている。歴史は転換期を迎えたと表現したほうがよかったのかもしれない*3

 しかし、より私を悩ませたのは「人間の終焉」である。フーコーは『言葉と物』*4という著作において人間消滅を予言した。「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさ(近代社会を意味する)が容易に示されるような発明に過ぎぬ。そしておそらくその終焉は間近なのだ…」(『言葉と物』第10章の終わり部分から引用)。

 『言葉と物』(原語はLes mots et les choses,1966年出版) はフランスで出版されるやベストセラーになった本なのだが*5、日本語で読み進めるのは容易でなかった。それでも2、3カ月かけて多少は理解できるようになった。フーコー曰く、人間という概念は昔からあったのではなく、「近代の知の枠組み(エピステーメー)」の中で誕生した。「近代の知の枠組み」が終焉に向かったため、人間という概念も意味を失い、消滅するだろうという主張だと理解した。

 フーコーは、西洋の知の枠組みがルネッサンス以降どのように変遷したのかを、「知の考古学」と呼ばれる手法で記述、分析した。近代社会において学問は細分化を繰り返すが、さまざまな学問の本質は人間について考えるということなのだろう。たとえば、経済学は経済活動について研究しているが、それらを通じて人間の存在、その条件を明らかにし、人間とはどんな存在かという問いに通じている。この考え方は、「神は死んだ」と宣言したニーチェに由来するものでもある。近代的な学問の全ては解釈に過ぎないとニーチェは主張した。客観的なもの、絶対的なもの(真理)は存在しないし、すべては主体(人間)が自己保存し成長したいという欲望にもとづき世界を解釈しているにすぎない。つまり、立場や視点に応じて世界の見方も考え方も変わる。全ては相対的なものに過ぎないのである。近代の知の根源の衰弱性―捏造性を初めて指摘したのはニーチェだったが、その視点はのちに構造主義を通じて西洋の知の枠組みを支えていた客観性や普遍性という根幹を揺るがし、西洋の知も世界に存在するさまざまな知のひとつの形態にすぎないということを知らしめた。

 西洋の近代社会は「終焉の時代」に向かいつつあるとしても、そもそも近代とは何か、どのように世界規模で形成されたのだろう、という疑問は残った。この疑問にいくらかの答えをくれたのが、四苦八苦しつつも『言葉と物』を読んでいる最中に出会ったI・ウォーラーステインの『近代世界システム』(『近代世界システムⅠ、Ⅱ』岩波現代選書、1981年)である。ダイエーだったかイオンだったか忘れてしまったが、大きな商業施設にテナントとして入っていた本屋でたまたま目についた本だった。古本販売のコーナーからⅠとⅡの2冊合わせて600円で購入したことを覚えている。

 ウォーラーステインの近代世界システム論は、近代以降の世界全体を単一の世界資本主義体制としてとらえ、その生成・発展の歴史的過程を明らかにすることによって地域(国家)間の関係、経済的な支配と従属、世界秩序の構造と変動などを探求しようとする理論である。西欧諸国やアメリカなど工業「先進」諸国が世界の「中心」に位置し、「発展途上の」国々はこの中心に従属させられ、搾取される傾向にあるという。近代世界システム論は文化人類学を専攻してから、世界の先住民や少数民族が置かれている立場や社会変化を理解する上で有益だった。

 また、「歴史の終焉」というキーワードを皮切りに、歴史に関する本を読み漁った。金沢大学の生協で新学期になると店頭に並んでいた、E.H.カーの『歴史とは何か』(岩波書店、1962年)、A.J.トインビーの『現代が受けている挑戦』(新潮社、1969年)を手に取った。

 この2冊は今でも私の手元にある。無くしてしまったり、人に贈ったりしてこれで買ったのは4回目である。いずれの著者もイギリスの歴史学者であり、E.H.カーはロシア史の研究者でもある。E.H.カーの主張で印象に残っているのは、「歴史は現在と過去との対話である」ということである。第2章「社会と個人」、第4章「歴史における因果関係」からは、社会は個人から構成されるが、個人も社会の主体として経験と歴史を持っているということを勉強し、どのように記述するか人類学を学ぶ上でとても参考になった。歴史は歴史家によって作られている部分もある。過去の事実が歴史ではなく、どのような事実を歴史として記述するか、現代社会から歴史をどのように解釈するかが重要であることには私なりに納得のできる説明だった。

 中国の歴史の教科書にうんざりしてしまい、トインビーの歴史研究の本を読んでいたことを連載のなかで紹介したことがあるが、『図説 歴史の研究』は著者の膨大な資料データ収集・整理と東西を越えた理解力が発揮された作品で、ギリシャ、インド、中国など多くのアジアの歴史のなかから文明同士が衝突し、また新たに文明が展開されてゆく物語を描いている。私たちが現在直面している課題が文明間の衝突や対立であることを指摘しており、未だに私たちは解決できていないことも指摘されている。世界の宗教や国家という枠を超越し、歴史を再構築すること、排除ではなく共生の中で生きることについて考えさせられた。

 歴史は事実であって、その事実を記述する歴史は科学的なものだと私は理解してきたが、これらの本を少しずつ読んでいく中で、歴史は解釈された経験であり、トインビー的に言うと世界の歴史は人類の経験の総集合であること、カー的に言うと過去と現在との対話の中で構成されるということを理解していった。歴史の終焉や漂流など、時代を象徴するこれらの言葉の理解には苦労したが、より具体的に私に近づけて歴史を考えることができたと思う。

 

アジア

 私が留学生活をしていた頃は、「歴史の終焉」が話題となっていたと同時に、西洋に追いつき追い越すのではなく、自国や地域さらにはアジアに注目が集まってきた時代でもあった。金沢大学でも中国や韓国などアジア出身の留学生が増え、アメリカやヨーロッパを見つめてきた日本の視点が少しずつ変わってきたような気がしていた。KOHRINBO109という商業モールの音楽コーナーでも、PUFFY*6のデビュー曲「アジアの純真」がよく流れていた。ラフで自然なスタイルながら、センスのある楽曲が私にとっても印象深かった。

 日本ではたくさんの素晴らしい音楽と出会ったが、流行の移り変わりが早すぎるように感じる。私は一度愛された音楽はそう簡単に廃れてしまうものではなく、比較的長期間、歌われているものだと思う。もちろん昭和時代を代表するような歌手たち、山口百恵、五輪真弓、谷村新司、千昌夫の名曲などは長く歌い継がれているが、とくに若者は最新のもの、目新しいものに関心がすぐに飛び移ってしまうような傾向にあると感じている。私は昭和の歌のほうがずっと好きなのだが、そうした古い歌は自分でCDを買わない限り、街中で耳にすることがあまりなくなったので少し残念、寂しい気がした。

 1990年頃に日本では昭和から平成へ時代が移り変わった。戦争が日本人の精神や社会に傷跡を残し、戦後の日本は国家再生に邁進した。私が青春を過ごした1990年代初頭の中国の人々は昭和の歌や映画の影響を受けていたが、日本との関係について、過去の歴史の中で残されたさまざまな問題を真正面から、個人的に向き合うことはほとんどなかった。1970年代に日中国交正常化以降、日本の援助をとりつけた中国は、その後目覚ましい経済発展を遂げていった。他方で、植民地や戦争のことは国民レベルで語られることはなかった。平成時代に入り、世界第二の経済大国となった日本は、アジアへの経済援助や文化教育的な交流を行うようになっていた。

 私はまさに、平成史のなかで、日本で研究と仕事を経験し、私の世界に対する理解、文化に対する理解も大きく変わった。日本史、中国史、モンゴル史などの大きな歴史から、庶民や少数民族も歴史の主体のひとつとして理解し、記述することを学んだ。歴史は未来を考える唯一の光であり、歴史はそのまま未来にならないが、歴史の延長にあり、歴史から学んだことをもとに未来を開拓することができるのだと。

 また、10数年前、私は「つながり」について改めて考える機会にも恵まれた。2013年、環境保護活動のためモンゴルはウランバートルに向かう機内でおそらくアメリカかヨーロッパから来たであろう夫婦と隣り合った。彼らは『チンギスハン』*7という本を読んでいて、ちょっと気になった。

 食事の時に勇気を持って、つたない英語で話しかけた。「モンゴルは初めてですか。観光ですか。」「いや、3回目。妻はあまり関心がないようだけど、私は関心がある。」

 このとき、なぜモンゴルに行くのかという質問に対して、「ルーツを探すためだ」と答えたと記憶している。アメリカからやってきた2人は自国が移民で形成された国であり、ヨーロッパなのか、アフリカなのか、アジアなのか、DNAで自らの起源を辿るのが流行っていたそうである。彼はイタリアとアイルランドにルーツがあると思っていたが、調べてゆくうちにチンギスハンの末裔であることがわかったという。

 彼はカリフォルニア大学の経理学の教授をしている。青い目をしたこの教授が、なぜチンギスハンの末裔なのか、本人も初めは疑ったようだが、再調査してみるとやはり本当のようだった。歴史をひも解く中で、興味関心が深まり、モンゴルを訪れ、チンギスハンの故郷へ旅することになったと話してくれた。

 偶然はアイデンティティの修正を迫る場合もある。このことを常に受け入れられなければ、何か問題が起こりうる。偶然の出来事によって、このアメリカ人の教授はチンギスハンやモンゴル人とつながりに気づいたが、一方でアイデンティティはアメリカにある。私は彼との会話から世界とのつながりを知ったし、想像力を働かせ、固定的な観念にとらわれず、興味関心の翼を広げ続けなければならないと反省した。ウランバートルに着陸後、私は彼に深々とお辞儀をして別れを告げた。

 

 私の幼少時代は祖母が「歴史」だった。彼女は50年以上生きた中で多くを経験しつつ、人生はボルハン、テンゲル(神)であるため、たくさんのボヤン(福)になることを行い、来世でより幸せな生活を送ることができると思っていた。祖母は神話の時代に生き、私をその世界に連れて行きたかったと思う。その世界では神が絶対的な存在で、人間の世界はその神の解釈に過ぎず、人間の歴史は神の趣向、意志によって意味付けされていた。

 私は街に来てからというもの、神に代わって、共産党が歴史を形成し、歴史的事実が科学的に解釈され、歴史が進化したことで社会主義となったと思い込み、教育を通じて暗記させられた。その歴史観のなかでモンゴル人の歴史とは、遅れ、粗末で、迷信に満ちていると教えられ、社会主義の歴史に統合されたことが歴史の進歩であるという見方を叩き込まれた。しかし、社会主義は形式にすぎず、実際には中華思想にもとづいているとしか思えなかった。私は社会主義教育から大きな影響を受けたが、同時にどこか納得できず、拒否しようとする気持ちを常に抱えていた。

 日本では「歴史の終焉」と聞いてはっとさせられたが、それを契機として外にあった歴史が心の中の歴史に変わっていったように思う。平成史のなかで人と出会い、どのような本の影響を受け、どのような歴史を経験しようとしているか。引き続きほぼ体験のままで紹介したい。

 

*1:フランシス・フクヤマ著、渡部昇一訳『歴史の終わり 上・下』(三笠書房、1992年)。

*2:フランシス・フクヤマ「歴史は終わったか」、『月刊Asahi』1989年11月号より引用。

*3:野家啓一『物語の哲学』(岩波書店、2005年)の「序『歴史の終焉』と物語の復権」を参照。

*4:ミシェル・フーコー著、渡辺一民・佐々木明訳『言葉と物―人文科学の考古学』(新潮社、1974年)。フランスで最初に出版されたのは1966年。

*5:1960年代フランスでは構造主義が流行し、ミシェル・フーコーはその旗手とみなされた。『言葉と物―人文科学の考古学』を構造主義の代表作だと考えて読んだ人が多かったのではないかと思う。

*6:日本の女性ヴォーカルデュオ、ユニット。1996年、「アジアの純真」でデビュー早々大ブレイクした。PUFFYは北米ツアーも行っており、全米でPUFFYをモデルにしたアニメが流行り、世界110カ国以上で放送されているという。

*7:Jack Weatherford “Genghis Khan and the Making of the Modern World” Crown Publishers, 2012. ついに北京国際空港で発見することができた。人類学者が書いた本だった。私たちのアイデンティティも歴史的に構築されるものであり、異なる文化との混合である場合も多い。

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