第31回 「文化人類学との出会い①」

文化人類学との出会い

 金沢での暮らしも3年目を迎えた1995年の春、来日当初からアルバイトをさせてもらっていた広東料理店「点心之家」が、市内に姉妹店をオープンすることになった。当時の金沢では珍しく飲茶メニューが充実しており、昼の時間帯には「飲茶文化講座」も開催する本格的な広東料理店だった。オーナーの竹園さんに誘われてオープン前の店舗を見に行くと、民家風の店構えに「風民」という店名が毛筆で書かれた看板が掲げられていた。看板には店名に続けて「民以食為天、医食同源」とあり、生活に根ざした庶民の広東料理を提供したいという竹園さんの想いが表現されていた。

 竹園さんは石川県輪島市出身で、中学卒業後にコーヒーメーカーに就職してから、香港やタイ、カンボジアで営業の仕事をしてきた。香港に駐在していた頃に出会った広東料理のおいしさに感銘を受け、ずっと日本で本格的な広東料理店を開くのが夢だったのだという。私は「風民」で厨房を担当させてもらえることになり、料理の腕を磨くだけでなく、食文化にこだわる竹園さんを見習ってローカルな料理を支える文化の側面にも興味を抱くようになった。

 食と文化のつながりを勉強したいと思って手に取ったさまざまな本のなかに、マーヴィン・ハリスという人類学者が書いた『食と文化の謎―Good to eatの人類学』(板橋作美訳、岩波書店、1988年)という一冊があった。たとえば「インド人は牛を聖なるものだと考えているため食べない」とか「世界には人食いの文化がある」など、同じ人間でも何を食べるのか、あるいは食べないのかは世界共通ではない。この本の著者は、人類学者でありながら歴史学や生物学、医学などさまざまな分野の研究成果を用いて、食文化の多様性に迫ろうとしていた。地域ごとの生態的あるいは社会的な条件によって手に入る動植物はさまざまであり、それらを食材としてつくられる料理も大きく異なる。食文化、つまり食に関する習慣や価値観はそうした前提のもとで形成されるため、「おいしい」あるいは「まずい」という感覚もまた地域ごとに異なってくる。私はこの本を通じて、人間がおいしいと思うものを育て、料理にしてきたのではなく、地域に根差した食材や調理法こそが人間のおいしいという感覚をつくりだしてきたのかもしれない、という発想を学んだ。北京大学の学生寮で羊肉料理をつくる度にルームメイトから「臭い!」と怒鳴られ、こんなにおいしそうな匂いのどこが臭いのかと不思議だったことを思い出し、美醜や善悪の感覚が文化によってつくられるという考え方にはなるほどと得心した。ごく日常的なことを深く掘り下げていく手法は興味深かったし、本を読み進めていくなかで味わった、当たり前のことが当たり前でなくなっていく感覚も新鮮だった。その経験は、私と文化人類学の初めての出会いだったのだろうと思う。

 

『金枝篇』

 その頃の私は金沢大学の法学部で研究生として勉強しながらアルバイト生活を送っていたが、その後大学院に進学すべきか、あるいはアルバイト先の「風民」で料理人としてやっていこうかと悩んでいた*1。研究生としてお世話になっていた定形先生は神戸大学に異動され、鹿島先生はワシントン大学へ研究交流に行かれることになり、進学するとしても指導を仰ぐ先生をあらためて探さねばならなかった。そんなとき、妻の友人から紹介を受けて金沢大学で文化人類学を専攻する松本康子さんという学生が訪ねてきた。内モンゴルの遊牧をテーマに実地調査を予定しているらしく、事前準備として内モンゴル出身の私に話を聞きたいということだった。松本さんの質問に答えるかたちで家畜の放牧や乳製品利用などについて話をしたが、あまりにも日常的で平凡なことばかり尋ねられるので、私はだんだんと不安になってきた。我慢できずに、こんな普通の話を聞いて面白いのですかと問い返してみると、松本さんは、「それが文化人類学です」と言って笑うのだった。

 ひとしきり話し終えて雑談しているとき、松本さんが私の机の上に並んでいた1冊の本を目に留め、「スさんは法学部で国際政治や憲法を学ぶつもりだと仰っていましたが、なぜこの本を持っているのですか?」と驚いた様子で言った。ジェームズ・フレイザーの『図説 金枝篇』(東京書籍、1994年)という本だった。

 当時は人類学という学問があることも知らなかったが、実は私はこの著作に大学4年生の時に出会っていた。親友のシンバイル君に誘われて、北京で開催された「ケサル」というチベットやモンゴルの英雄叙事詩についての学術会議*2を聴講しに行ったとき、シンバイル君が小脇に抱えていたのが『金枝篇』だった。ところどころ詩の引用などもあって小説か何かかなという印象だったが、シンバイル君によればヨーロッパやアフリカの神話や伝承を扱った古典で、「ケサル」の研究に役立つはずだということだった。その場ではすぐにシンバイル君に返したが、タイトルだけはなぜかずっと忘れず頭のなかに残っていた。

 それから数年後に金沢の本屋でその懐かしい書名を見つけ、半ば衝動買いのようにして買った1冊が松本さんの目に留まったのだった。「『金枝篇』は文化人類学の古典ですよ*3。スさんは文化人類学に興味がおありですか?」と尋ねられ、文化人類学という学問がどういうものかよく知らないけれど、アルバイトで料理をしているので食文化には関心があると答えた。すると、松本さんもモンゴルの食習慣には興味があり、調査を行う予定だという。しばらく話が弾むなか、「文化人類学に興味があるなら、先生を紹介しますよ」という言葉をかけていただいた。もしかすると何気ない社交辞令だったのかもしれないが、私が文化人類学という学問の扉をたたくきっかけとなったのは、このときの一言だった。

*1:中国では大学卒業後に料理人になることは考えにくい。一流と評される大学を卒業した場合はなおさらである。一方、日本では大学卒業後、研究者になろうと、料理人になろうと進路選択は比較的当人の判断に委ねられる場合が多い。日本にいたからこそ私にこのような悩みが生じたのだろうと思う。

*2:「ケサル」はチベット、モンゴル、中央アジアに残る長編英雄叙事詩の1つであり、長い歴史を通じて口承されてきた。語り手は夢のなかで何千もの詩からなる英雄譚を覚えるとされる。このときの会議では、モンゴル人の50代男性とチベット人の20代女性が語り手として皆の前で詠唱を行った。

*3:社会主義教育を受けた私にとって、神話とは迷信にほかならなかった。「原始的な人びと」は科学的な知識や情報に乏しいため世界を間違った方法、すなわち迷信を通じて理解しているのだと教えられてきたからである。松本さんは、神話とは過去に対する人びとの記憶であり、人びとの世界に対するひとつの解釈と意味付けであり、文化人類学において重要な研究テーマのひとつになっていると説明してくださった。

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