第33回 「文化人類学との出会い③」

 文化人類学教室に足繁く通い、書庫の本を乱読するようになって数か月が経っても、この学問を修めるために進学すべきかどうか、私はまだ迷い続けていた。そんな私に配慮してくださったのか、研究室の先生方から、夏休みに大学院と学部が合同で実施する調査実習に参加してみてはどうかとお声がかかった。鹿野先生、鏡味先生と助手の西川さんが引率してくださり、大学院に所属する金子さん、ヨンさん、学部生7、8人に加えて私と大所帯での調査旅行だった。実習は石川県加賀市の農村地域で3泊4日かけて行われ、聞き取りをもとに戦後の地域社会の変化について調べるという課題が与えられた。先生方の指導のもと、私たちはお年寄りに若い頃の話を聞かせていただいたり、お寺や神社を訪問して地域の歴史について伺ったりして、ひたすら語りをノートに書き留めていった。日中の調査を終えて旅館に帰ってからも、農業やまつり、社会保障制度などテーマごとにグループに分かれて、夜遅くまで資料の整理とディスカッションを行った*1

 来日してからはや2年が経っていたが、それまでは自宅とアルバイト先、大学を往復し、たまに市街の書店に立ち寄るだけの生活を送っており、ほとんど金沢の市街を離れたことがなかった。同じ石川県内とはいえ農村地域に足を運ぶのは初めてだったので、このときの調査実習は私にとって新鮮な発見の連続だった。とりわけ、遠隔地の農村でも都市とほぼ大差ない公共インフラが整っていることには驚かされた。中国では都市と農村の生活環境はまるで別世界といえるほど異なり、1990年代当時は電気や水道すら通っていない地域もざらにあった。また、寺社のまつりや山岳信仰など地域に根差した伝統が途切れることなく継承され、そのことへの誇りが人々の語りに息づいていることにも感じ入るところがあった。文化大革命の傷跡がなお生々しく残っていた当時の中国では、政治的な配慮なしに文化的な慣習や信仰を語ることは難しかったからである。

 一方で、農村とはいっても肝心の農業そのもののあり方は大きな変化を遂げており、あるいは存続が危ぶまれるのではないかという印象も持った。ご先祖様から受け継いだ土地への想いを語る人は多かったが、農業にたずさわる人のほとんどが兼業農家であった。村を離れて都会で働きながらも休みの度に帰省しては農作業をするという話も聞かされ、経済的な利益ではなく土地や故郷への愛着によってかろうじて農業が保たれているのではないかという気がした。後継者不足も深刻で、この地域の人々は美しい農村の風景をいつまで支えることができるのだろうかと考えさせられた。

 人々と故郷との結びつきについて考えてみたとき、日本の農村ではお墓が身近なところにあり、お墓参りなどご先祖様と触れ合う機会が慣習として残されていることが重要なのではないかという仮説に思い至った。日本ではお盆にご先祖様が帰ってくると信じられているため、ごちそうを用意してもてなす。生きる者と死んだ者の関係をめぐるこうした習慣と観念は、モンゴルのそれとはずいぶん異なる。モンゴルでは墓標をつくらず、死んだ者はただ大地に横たえられる。肉体は動物へと与えられ、いずれは骨も朽ちて大地の砂のなかに消えていく。死者の記憶はその土地と結び付けられ、あの山は誰々の山だと言われるが、世代の移ろいとともにいずれは忘れ去られていく。モンゴル人は死によって別の世界へと旅立って戻らないのであり、子孫を含む生者との直接的なつながりはそこで絶たれる。日本の農村では、お墓でご先祖様と触れ合うという習慣があるからこそ、都会に出て働く人たちにとっても故郷は大切な場所であり続けるのかもしれないと考えたのだった。

 わずか4日間の調査だったが、私にとってはこれまで見たことのなかった風景を目にし、触れ合ったことのなかった人たちと話をし、考えたことのなかった思考を深めるという濃密な経験になった。しかし、そこでは同時に私自身の力不足も大いに感じさせられた。実習に参加した日本の学生は常に活発で、聞き取りのときも話をうまく弾ませる工夫をしていたし、語りを文章化し、整理する作業も効率的だった。私は足を引っ張らないよう努めるのが精一杯で、資料作成でもディスカッションでも積極的に役立つことはできなかった。金沢に戻ってから参加学生たちは調査報告書を執筆したが、それも驚くほど上手にまとめられていた。聞き取りの内容を簡潔かつ正確に記述するのはもちろん、語り手の生い立ちや表情の変化などの情報を併せて提示することでそこに解釈の糸口を用意し、それぞれ独自の考えが述べられていた。私はといえば、努力はしたものの結局は報告書を仕上げられず、ここでも1人だけ足並みをそろえることができなかった。

 実習を通じての反省点から学んだことは大いにあったが、社会主義教育を受けてきた私にはいたずらに抽象化して物事を考える癖があり、目の前にあるものをしっかり観察し、人の話をきちんと聞くという部分が疎かになりがちだと気づけたのが、一番の収穫だった。中国では社会主義の特徴を「假・大・空(ジャーダークン)」、つまり嘘ばかりで(假)大げさで(大)中身がない(空)ものだと皮肉を込めていうことがあるが、知らず知らずのうちに私の頭のなかにもそうした思考の様式が浸透していたのだろう。調査実習中の食事の席で誰かが口にした「真実は細部に宿る」という言葉を聞いたとき、そのことに気づいたのだった。いつの間にか頭でっかちになっていた自分を見つめ直し、もう一度世界と直に向き合えるようになりたい。調査実習を経て、私は文化人類学という学問が私をさらに成長させてくれると確信し、大学院の受験を決めたのだった。

 

 

▼前回までの記事はこちらです

*1:調査実習の一環として、北前船の里資料館(石川県加賀市橋立町)も訪れた。江戸時代後期から明治時代にかけて、加賀を拠点とする北前船は、北は北海道、南は九州まで盛んに交易を行っていたという。資料館の学芸員は、北前船の船乗りの食文化が弁当の起源という一説も紹介してくれた。

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