第34回 「文化人類学との出会い④」

人類学の理論とマルクス主義

 夏休みに調査実習での数日間をともに過ごし、私自身は寄稿できなかったものの、報告書作成のための打ち合わせにも欠かさず出席したことで、文化人類学教室の先生方や学生たちとの距離は以前に比べずいぶん近づいたという実感があった。研究室でも雑談に加わることが多くなり、大学院受験についての質問や相談も気軽にできるようになった。実習に参加した学生たちの多くはそこでの経験をもとに卒論のテーマを決め、なかには個人で調査に向かう人もいたようだったが、私は受験勉強で手一杯で、将来の研究について考える余裕はまだなかった。

 秋から冬にかけて、私はひたすら受験に向けてテキストや基礎文献を読み、研究室の学部生や先輩たちとの交流からも人類学についての理解を広げようと努めた。なかでも、この頃に先輩から推薦されて読み始めた『文化人類学15の理論』(中央公論社、綾部恒雄(編)、1984年)は、300ページに満たない厚さの新書ではあったが、基礎知識の習得にとても役立った。人類学の学説史における主要な理論的潮流が章ごとに解説されていたが、機能主義や構造主義、解釈人類学などと並んで「マルクス主義と人類学」の項目が設けられていたのが興味深かった。文化人類学という学問は、ヨーロッパ諸国の帝国主義的な好奇心と野心を満たすべく誕生し、植民地統治のための技法として使われてきたという歴史を抱えている。しかしその一方で、西洋中心主義的な考え方を反省し、相対化する視点を育んできた学問でもある。そうした学問的批判の方法は、マルクスに連なる思想からの影響も受けて培われてきたのだという。中国で教えられてきたマルクス主義とはまるでかけ離れてはいたが、マルクス主義が学問の世界で今日まで継承され、応用されていることを知り、妙な感慨を覚えていた。

 

牧畜民研究の古典

 受験勉強を進める傍ら、私は文化人類学研究室の開講科目「人類学特論」にも出席していた。この授業はオムニバス形式で進められ、主にアフリカと南アジアを対象とした民族誌の古典と、そこから生まれた代表的な理論の解説から成り立っていた。講義のはじめには推薦文献のリストも配布されたが、受験勉強に集中していた当時の私には、授業で紹介された文献を実際に手に取ることはできなかった。とはいえ、授業で紹介された文献のなかには強く私の印象に残り、大学院進学後にあらためて読んだ本も多かった。たとえば、20世紀イギリス人類学の立役者の一人であるエヴァンズ=プリチャードの『ヌアー族―ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録』(平凡社、向井元子訳、1997年)も、そうしたなかの1冊だった。ヌアー族は南スーダンのバハルアルガザル川とソバト川流域に暮らすナイロート系に属す牧畜民で、移動を繰り返す生活を送っているが、雨季の間のみ定住して雑穀類の栽培を行うのだという。エヴァンズ=プリチャードは彼らが婚姻や地位の世襲に際して牛を交換することに注目し、経済的な価値をはるかに超えた意味が牛という家畜に与えられていると論じていた。

 モンゴルでもそうだが、遊牧民とは家畜を失えば生きていくことのできない存在であり、家畜はときとして人間以上に大切にされることすらあるし、人間と動物が深い感情で結ばれることもある。どれほど家畜が大切かと問われれば、私自身の経験に照らして、具体的な情景やエピソードをもとに答えることは難しくない。しかし、エヴァンズ=プリチャードが描いてみせたように、社会全体のしくみと関連づけながら家畜の大切さを説明することはできそうにない。『ヌアー族』には、遊牧民の生き方のエッセンスが、洗練された論理によって誰にでも分かるように鮮やかに描かれていた。『ヌアー族』ではまた、イギリス人であるエヴァンズ=プリチャードがヌアー族の生き方に迫っていく過程が随所で語られている。現地語を習得し、慣れない生活を受け入れ、そのなかに意味のある何かを見つけ、それを論文として言葉にしていく長い作業は、まさしく困難の連続だったようだ。しかしそれを想像してみると、なぜだか私の心は高鳴るのだった。

 

時間という概念

 家畜と人の関係など牧畜に関する議論ももちろん面白かったが、『ヌアー族』を読んで一番印象深かったのは、実は「時間」をめぐる考察だった。少し長くなるが、該当箇所を紹介したい。

 彼らは、われわれの言語でいう「時間(タイム)」に相当する表現法をもっていない。そのため、彼らは時間について、われわれがするように、それがあたかも実在するもののごとく、経過したり、浪費したり、節約したりできるものとしては話さない。彼らは、時間と闘ったり、抽象的な時間の経過にあわせて自分の行動を調整せねばならない、というような、われわれが味わうのと同じ感情を味わうことは絶対にないであろう。なぜなら、彼らの照合点は主として活動そのものであり、活動は一般的性格としてかなり幅をもつものだからである。物事は順序正しく行われているが、正確に行動を合わせねばならないような自律的な照合点は存在しないから、彼らは抽象的な体系によって支配されるということはない。この点、ヌアー人は幸せである。

 また、彼らは、明確に規定、もしくは体系化された時間の単位をもたないから、出来事と出来事のあいだの相対的な時間の長さを計る手段は極めて限られたものしかもたない。一時間という単位も、他の小単位もないのだから、太陽のある位置と他の位置とのあいだの時間を計ることもできないし、同様に、日常の諸活動に要する時間を計ることもできない。

 次のように結論することができる。つまり、ヌアー人の時間の認識体系は、年周期の範囲内、あるいはその一部についてみた場合、一連の自然の変化を概念化したものであり、そのどれを照合点として採択するかは、こうした自然の変化が人間の諸活動にとってどのくらい重要性をもつかによって決まってくる。

(前掲書、189-190頁)

 エヴァンズ=プリチャードは、ヌアー族の牧畜生活だけでなくより深く内面的な世界をも捉え、読者に分かるよう翻訳を試みているのだった。さらに、異なる文化を比較するときに陥りがちな罠、すなわち自分たちの考えが当然で、彼らの考えがおかしいのだという発想を極力回避しながら筆を進めようとしている点も際立って感じられた。他者の考え方ややり方を間違っていると否定しても何も生まれないが、異なることそのものを受け入れ、知ろうとすれば豊かな学びを得ることができる。『ヌアー族』を通じて、私はそのことをはっきりと意識するようになった。モンゴルの草原を後にした時から、私はずっと都会の人たちからどう見られているのかを意識し、「おかしい」、「遅れている」といわれないよう努力し続けてきた。都会の物差しに自分を合わせ、都会の人々の視点を身につけようとしてきた。その結果、いつの間にか都会製のレンズなしにものを見ること、考えることができなくなってしまっていた。草原で暮らしていた頃にゲルのかたちをした日時計をつくっていたことは覚えているし、そこで計っていたのは都会の「時間」とはまったく別のものだったような気がするのだが、それが何だったのかを思い出すこともできなくなってしまった。

 

 文化人類学は、忘れかけていた草原の世界にもう一度立ち戻ることを許してくれるのではないか。ひた隠してきた幼少期の自分を表現する言葉が、そこにあるのではないだろうか。『ヌアー族』を読んで、私は人類学を学ぶことの意義をあらためて感じたのだった。

 

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