第36回 「民族誌を読む」

恵まれた研究環境

 1996年、金沢大学文化人類学研究室修士課程には私を含め6人の学生が入学した。ひと学年上の金子さんと泳さん、博士課程の先輩方のほか学部生のうち何人かもよく研究室に来ており、研究室はいつも賑やかだった。集中してワープロとにらめっこしている人もいれば、お茶を飲みながらお喋りをしている人もいる自由な雰囲気で、新入生の私にとっても居心地がよかった。近所のスーパーで食材やお酒を買ってきて食事をつくることもしょっちゅうで、先生や先輩とも和気あいあいと交流するうちすぐに親しくなれた。世界中の話題が飛び交う研究室は、身を置いているだけで常に刺激をもらうことができる場だった。

 研究環境としても充実しており、鹿野先生、鏡味先生はじめ4人の先生は、研究テーマすら定まらない私にも根気よくご指導くださった。書籍の購入に際してもご自身の研究だけでなく学生の関心に気を配ってくださり、中国やロシアの少数民族についての民族誌も揃えてくださっていた。

 私は人類学のゼミ2つのほか講義を6つ履修し、平日はほぼ毎日大学に通うようになった。授業がない時間も研究室に籠り、予習や復習のほか人類学の理論書や中国北方民族についての民族誌を読んだ。すくなくとも同期で入学した仲間たちには早く追いつきたくて、研究に打ち込む日々が続いた。研究室には当時はまだ珍しかったパソコンがあり、いずれ論文を書くときの練習にと思ってワープロソフトを練習してみたところ、新しい知識を効率的に整理する作業にも適していることに気づいた。パソコンは高くてとても手が出なかったが、奮発して自宅にワープロを買ってからは、勉強もずいぶんはかどるようになった。

 

英語で民族誌を読む

 鏡味先生のゼミでは、アナ・ツィンというアメリカの人類学者が書いた本を輪読することになった。“In The Realm of The Diamond Queen: Marginality in an Out-of-the-Way Place”(Princeton University Press, New Jersey, 1993)という本で、インドネシアのカリマンタン島に住むメラトゥス・ダヤックと呼ばれる人々についての民族誌だった。彼らはもともと熱帯雨林のなかで狩猟や採集を生業として暮らしていたが、開発プロジェクトに巻き込まれるなかで劇的な生活の変化に直面する。木材や鉱物資源の開発が進められ、そこに住む人々は「野蛮人から文明人へ」の進歩を期待された。森を拓いて道路が敷かれ、定住家屋と学校を備えた村落があちこちに建設された。メラトゥスはかならずしもそうした「近代的で豊かな」生活だけをよしとせず、ときに森に帰って気ままな暮らしを維持しようとする。しかし、開発を進めようとする人々の声高な主張を前に、彼らのつぶやきはほとんどかき消されてしまう。森に暮らしてきた少数派の人々、街に住みイスラームを信じる多数派の人々、政治家、官僚、建設業界、そしてフィールドワークを行う文化人類学者など、さまざまな主体がそれぞれ違った思惑をもって開発にかかわり、それぞれ違った言葉遣いで目の前の現実を語る。ツィンは、開発プロジェクトにまつわる動きを丹念に追うことで、メラトゥスが住む森に向けられるまなざしが幾重にも交差していくさまを描いていく。私はこの本を通じて、世界とは単純に理解できるものではないということを学んだように思う。

 この民族誌は、初めて英語で通読した本になった。というよりも、その頃の私は英語など勉強したことがなく、日本のカタカナ英語を通じていくつかの単語を知っている程度の知識しか持ち合わせていなかった。鏡味先生のゼミは輪読形式で進められ、参加者がそれぞれ1章分を担当して内容を発表することになっていた。先生が紹介してくれた本の概要を聞いて面白そうだとは思ったが、英語がまったくできないまま受講してもよいものか迷いもあった。ひとまず英語が苦手だと先生に申し出てみたのだが、まったく勉強したことがないとは思わなかったのだろうか、前期最後の授業での発表担当を割り当てるのでじっくり準備をすれば問題ないよと言われてしまった。発表担当を断ることもできず、これであとに退くことはできなくなってしまった。

 私は腹をくくって英語を勉強することに決め、英和辞典を買ってきた。単語の意味が分かればどうにかなると思い、手始めに担当章のページに書かれている単語をリスト化して“a”や“the”なども含めてすべて調べあげたてはみたものの、そこに書かれている内容はさっぱり理解できないままだった。仕方なく研究室の院生たちに相談したところ、同期の東内君が英語を教えてあげようと申し出てくれた。東内君は学習塾で中学生や高校生に英語を教えているということだったが、いざ特訓をはじめてあまりに私の知識が不足していることが分かると、中学生どころか小学生以下のレベルだと唖然とされてしまった。東内君はわざわざ塾のアルバイトを休んでまる2日も私に付き合ってくれたのだが、基本的な文法のルールや発音の仕方を教わるのが精一杯で、担当章の読解まで手が回るはずもなかった。先生にもう一度相談して担当者を変えてもらった方がよいというアドバイスももらったが、私はそこで諦めることができず、研究室の同期や先輩、そして妻にも助けてもらいながら、毎日1行でもいいから自分なりに理解しながら読み進めていくことにした。

 無我夢中で英語と格闘する日々を続け、いよいよ発表の日が来た。私が担当した章では、メラトゥスと森のかかわりが中心に描かれていた。開発をする側からすれば単に未開発の資源として映る森も、メラトゥスからみれば慣れ親しんだ樹々に囲まれて生活をおくる場であり、樹々と人を結び付けるさまざまな伝承は祖先の歴史そのものでもある。ものを貨幣で計り、歴史を文字で記すという近代的なやり方とはまた別のやり方で、彼らは自身と森のかかわりを保ち続けてきたのだった。文意の読み間違いは数えきれないほどあったにせよ、著者がそこで描きたかったことは、私なりの言葉でゼミの参加者に伝えられたという実感があった。

 ゼミでの発表をさせていただいた経験を経て、大学院で人類学を学ぶためには英語の読解能力が必須だということを思い知らされた。過去を振り返ると、漢語は学校に通うなかで覚え、日本語はアルバイトをしながら身に付けてきた。その言葉を使わざるを得ない環境に身を置くことで言語を学んできたのだが、英語の場合はそうはいかない。どちらかといえば人類学を勉強してきたことと近く、コツコツと自習を続けるほかないのだった。

 発表を終えてひと段落した頃、本屋で英語を勉強するための教材を探しているとき、ふと英語のタイトルとかわいい犬の絵が描かれた文庫本が目に留まった。ページをめくると4コマ漫画が並んでおり、吹き出しには日本語が、その隣の余白には英語が書かれていた。英語の意味を調べてみると、どうやら対訳になっているらしい。試しに1冊買ってみると会話にひねりがあって面白く、つい最後まで読み耽ってしまった。結局は全15巻のうち10冊まで揃えることになり、英語の入門教材としてずいぶんお世話になったこの作品は、のちにスヌーピーという有名な漫画シリーズだったと分かった。味わいのある絵柄も魅力的で、この漫画をまねて絵を描くようになったのが高じ、いまでも絵を描くことは趣味の1つになっている。

 

現地調査の魅力

 鹿野先生のゼミは、先生のフィールドである南アジアに関する書籍か論文を参加者各自が選んで紹介するというものだったが、私は留学生だからということで配慮していただき、好きな地域から代表的な研究を選んでよいことになった。前回述べたように中国の東北地方からシベリア一帯に暮らす諸民族を研究したいと考えていたので、研究室の書庫で関連する本を探すことにした。まず気になったのは、シロコゴロフ『北方ツングースの社会構成』(川久保悌郎・田中克己訳、岩波書店、1941年)と赤松智城、秋葉隆著『満蒙の民族と宗教』(秋葉大阪屋号書店、1941年)の2冊だった。

 シロコゴロフは20世紀前半に活躍したロシア生まれの民族学者で、4年間にわたるシベリア探検をもとにツングース系民族の文化を研究した人物である。『北方ツングースの社会構成』は、当時のヨーロッパで出版された数多くの文献が参照され、自身の調査記録も惜しみなく用いられた力作だったものの、「民族複合構成論」など独創的な理論は理解が難しく、ゼミで発表するには適していないような気がした。赤松と秋葉の『満蒙の民族と宗教』は、戦前から戦中にかけて旧満州やモンゴルで行われた調査にもとづいて書かれたもので、やはりツングース系諸民族の信仰がシャーマニズムの概念を用いて分析されていた。当時の状況がこと細かく記されていて興味深かったが、私自身がシャーマニズム研究について基礎的なことを知らなかったため、理論的な部分を紹介するのは難しそうだった。

 発表の日も近づき焦り始めていた頃、書庫の片隅に3、4冊だけぽつんと置かれた古い雑誌の表紙に「大興安嶺」と「オロチョン」の文字が並んでいるのを見つけた。手に取って確かめてみると、日本人類学会の学会誌である『民族學研究』の1948年に発行されたバックナンバーで、「1948年代 大興安嶺におけるオロチョンの生態(一)」というタイトルの論文が掲載されており、今西錦司と伴豊の共著となっていたが、実質的には今西錦司という人が書いたもののようだった。興味をもって鹿野先生にどんな人なのかを聞いてみると、非常に高名な生態学者で、登山家、探検家としても功績を残した人だという。また多くの学術探検隊を組織し、そこから梅棹忠夫や伊谷純一郎など著名な人類学者が輩出されたということも教えていただいた。ますます面白そうだと思ってこの人の本を探してみると、大興安嶺での探検調査の詳細がまとめられた編著の『大興安嶺探検』(朝日新聞社、1991年)という1冊が見つかった。京都大学の学生たちを引き連れ、1942年に大興安嶺に沿って中国東北部を南北に縦断した際の記録だった。エヴェンキ、オロチョン、コサックといった人々の暮らしが丁寧に記述されているほか、隊員の体調や持ちものの管理、地図の作成にまつわる苦労など、現地調査を行うなかで必要な技術や心構えまでも細かく書かれていた。調査を通じて生まれる人々との交流も詳しく描かれており、とりわけトナカイ放牧を営むエヴェンキとの出会いの場面は印象的だった。この本を読んで、私は研究のために現地に赴いて調査をすることの意味を初めて教わったように思う。

 その頃はまだ知る由もないが、のちに私は中国の東北地方とシベリアでエヴェンキたちとともにフィールドワークをすることになる。自分も調査隊の一員になったつもりで『大興安嶺探検』に没頭したことが、私とエヴェンキのかかわりの始まりだったのかもしれない。

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