第37回 「フィールド調査の準備」

資料を集める

 今西錦司『大興安嶺探検』を読んでからというもの、フィールド(調査地)への憧れは日に日に高まっていった。英語の読解力や理論的な知識が足らず、人類学的なフィールドワークの訓練も十分に受けていないことは自覚していたものの、とにかく自分の足で調査旅行に出てみたいという気持ちはそれ以上に強かった。私は夏休みを利用して大興安嶺を訪れてみようと決め、研究室の先生に相談してみた。先生たちは一様に驚かれてはいたものの、頭ごなしに引き止められることはなかった。ただし、行くからには物見遊山ではなく実のある調査にしなければならない、出発前に研究室で調査計画発表するようにとの指導をいただいた。

 調査計画といっても具体的に何をすればよいのか分からず先生に助言を求めたところ、調査を予定している地域の先行研究を読み込み、自分が貢献できるところを見定めることが大切だと指導をいただいた。さらに調査経費の算段や安全確保のための準備なども必要になるとのことで、それから夏休みまでは、目の回るような忙しさだった。行き先は大興安嶺に決めていたため、その周辺地域に住むエヴェンキやオロチョンと呼ばれる人々に関する調査記録を整理し、中国東北地方全般に関する歴史文献も読み進めていかねばならない。理論的な分析力が足りないならばそのぶん手数で勝負しようと考え、とにかく網羅的に文献をあたって整理する作業に没頭することにしたため、研究室の書庫に入り浸る日々が続いた。鳥居竜蔵『黒龍江と北樺太』(生活文化研究会、1943年)、永田珍馨『北方騎馬民族オロチョン』(毎日新聞、1969年)、後藤冨男『騎馬遊牧民』(近藤出版社、1970年)など、ときには古い日本語の表現が多く読みづらいものもあったが、歩みは遅くとも毎日欠かさず読み進めるようにした。

 大興安嶺に関する読書ノートが数冊分になった頃には、なんとなく時代ごとに資料を分類する方法もできてきた。20世紀初頭まではヨーロッパの探検家による記録が中心だが、旧満州時代になると日本の調査団や研究者が本格的な地域調査を行っている。国共内戦の後には社会主義的な民族政策にしたがった調査が行われるが、文化大革命期はほぼ空白の時代となる。1980年代以降には再び中国東北地方の少数民族の現状を紹介する雑誌記事などが現れるが、現地調査にもとづく学術研究はまだあまり復興していないということも分かってきた*1。文献を読み進めていくなかで、まだぼんやりとしてはいたが、「少数民族がどのようにして社会主義時代を経験してきたのか」というテーマもなかなか意義深いのではないかという感触も得られた。

 夏休みを前にした6月下旬、研究室の皆に調査計画を聞いていただいた発表会では、意外なことに短い期間でよくここまで準備をしたと褒められ、調査本番も頑張れと応援していただいた。その場では恥ずかしいやら嬉しいやら複雑な気持ちだったが、調査に向けてやる気をいただいたのは確かだった。

 

フィールド調査に向けて

 いよいよ大興安嶺への調査も差し迫った夏休み前、研究室で本を読んでいると、学部4年生の山田君が勢いよく扉を開けて入ってきた。山田君は真っ黒に日焼けした顔で、「インドで1か月調査に行ってきました。アパートのガスが止まってしまったようなので、研究室で食事してから帰宅しようと思います。構いませんか」というのだった。聞けば、ガンジス川流域の葬儀について調べてきたのだという。体は壊さなかったか、どうやって調査したのか、と質問攻めにしてしまったが、山田君は楽しそうに色々とエピソードを交えながら答えてくれた。いわく、たくさんの出会いも得られたが、現地の食事が体に合わず脱水症状に陥って入院したこともあり、処方してもらった薬を飲みながら調査を続けていたのだそうだ。研究室のなかで一番の体力自慢だった山田君でも大変だったのだと思うと、私も気を引き締めていかねばと思うのだった。

 後日、ゼミの時間に山田君の調査報告会が行われ、インドで手に入れたデータをもとに発表を聞くことができた。聞き取り調査の内容のほか、撮影した写真も、ぼろぼろになったフィールドノート3,4冊も見せてくれた。その場では先生方から調査方法や成果のまとめ方について厳しい指導を受けていたが、私は山田君の行動力も調査も、まだ学部生なのに見上げたものだと思うばかりだった。その頃に在籍していた修士や博士の先輩には単独での調査経験がある人がいなかったため、山田君からは何度も調査のコツについて教わることになった。帰国の日に山田君が背負っていた大きなリュックサックにも密かに憧れてしまい、4000円くらいで似た形のものを買ったりもした。

 いよいよ大興安嶺調査への出発が近づき、ノートや文具、丈夫な服装なども揃えていった。アルバイトを頑張って何とか20万円を貯め、何とか旅費も工面できた。カメラを買うのは諦めていたが、鹿野先生のご厚意で借り受けることができた。大興安嶺は私の生まれ故郷に近いとはいえ、初めての調査旅行である。今西錦司らが探検してから55年後の大興安嶺で何が発見できるのか、不安よりも楽しみが募っていた。

 

*1:中国についての海外研究者の調査や研究動向については、末成道男編『中国文化人類学文献解題』(東京大学出版会、1995年)が文献収集の手引きとなった。中国語や日本語、英語の文献の書誌情報が充実していたため、それを道しるべに多くの本との出会いがあった。

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