第39回 「初めてのフィールド調査②」

トナカイとの出会い

 ウラルトさんと再会する機会は、初めてのフィールド調査で知り合ってからおよそ2年後の1997年7月中旬にやってきた。大興安嶺とオルグヤ村での本格的な調査を試みるべくホロンバイルを再訪した私に、ウラルトさんが同行を申し出てくれたのだった。ウラルトさんと私は、まずバスと夜行列車を乗り継いで大興安嶺の麓にある満帰を目指した。

 満帰に到着したのは夜明け前の時間帯だったが、汽車駅を出るとウラルトさんの知り合いが迎えに来てくれていた。この地域の林業局で副局長を務める張さんという方で、その日の昼にはさっそく大興安嶺で採れた山菜やキノコ、雉などを使った料理をご馳走してくださった。どれも食べたことのない料理ばかりでとても美味しかったが、人口増加にともなって森林伐採や動物の乱獲が進み、かつては豊かに採れた山の幸も貴重なものになってきているのだという。張さんによれば、大興安嶺は1950年代より中国最大の木材供給地として伐採が続けられ、南部地域から北上するように徐々に森が縮小していった。張さんが勤める林業局が管轄する満帰の一帯は北部に位置するが、そこでもすでに伐採が大規模に行われており、野生の動植物も年を追うごとに姿を消しつつあるのだということだった。

 少し複雑な気持ちを感じながら食事を済ませてからは、計画していた40日間の野営調査のための買い出しにでかけた。市場ではリストラにあった林業局の元職員が森で採れたブルーベリーや薬草などをしきりに勧めてきたが、彼らの必死な顔からは生活の厳しさが垣間見え、私の心はさらに重くなってしまった。

 翌朝、私たちは張さんが運転する車で調査地を目指した。エヴェンキ族がトナカイ放牧を行うキャンプ地に滞在させてもらえるということだった。満帰から東南に30㎞ほど林道を行き、そこからは100㎏近い荷物を3人で分担して背負って森のなかを歩いた。草原とは勝手が違い、森のなかを歩くのはなかなか大変だった。登り降りが煩わしいのに加え、凍った地面が夏の暑さで融け、10㎝ほどのぬかるみが続いて体力が奪われてしまうのだ。それでも森に慣れたウラルトさんと張さんは一定の速度を保って歩くことができ、私だけが遅れがちになってしまった。休憩をはさみながら2時間ほど歩いた頃、どこからか犬が吠える声が聞こえてきた。しばらくして迷彩服を着た2人の男が犬を連れて姿を現し、キャンプ地から私たちを迎えに来たのだと話しかけてくれた。

 キャンプ地にはそこから10分ほどで着き、バラジェイさんという年かさの女性が出迎えてくれた。バラジェイさんはオルグヤ村の病院に勤めたことがあり、中国語も流暢に話すことができた。キャンプ地にはテントが3つ張られており、それぞれバラジェイさんの家族、同じくエヴェンキ族の一家、ダフール族の夫婦が住んでいた。バラジェイさんはテントの前にトナカイの毛皮を敷き、トナカイの乳でつくったミルクティーや揚げパンを振舞ってくれた。

 放牧に興味があった私は早速トナカイの姿を探してみたが、キャンプ地の周辺には見当たらないようだった。バラジェイさんに聞いてみると、少し離れたところにある焚火の近くにいるのだという。夏の間は蚊やブヨが大量に出るため、湿った草を焚いて煙で虫よけをする。トナカイは虫にたかられると落ち着いてエサを食べられないので、昼間は焚火のまわりで過ごすことが多いのだということだった。

 ウラルトさんと張さんは、その日のうちに満帰に戻ることになっていた。ウラルトさんは、若者たちは酒に酔うとよく喧嘩をするから気を付けるように、彼らは銃や山刀をもっているから、何かあったらバラジェイさんに相談しなさいと忠告を残して去っていった。食事をしながらすでに一杯飲んでいたので少し不安になったが、ひとまずはそんな様子もないようだった。あまり気にしていても仕方がないと思い直し、そのままバラジェイさんの息子のウェジャのテントで酒を飲み続けているうちに寝入ってしまった。

 目が覚めると、あたりはすでに暗くなっていた。近くの木陰で用を足してからぼうっと夜の森を眺めていると、どこからかチリンチリンと鈴の音が聞こえてきた。そうか、トナカイが帰ってきたのだろうと目を凝らすと、たくさんの黒い影が樹々の間を縫うように動いていた。足音を忍ばせて近づいてみたが警戒する様子はなく、ついに背中に手で触れても逃げるそぶりを見せることはなかった。よくみると、さっきおしっこをひっかけた樹をしきりになめているトナカイもいるようだった。トナカイの表情などをもっとよく観察したいと思ったが、動物は電灯の光が嫌いだという祖父の言葉を思い出し、いったんテントに戻って空が明るくなるのを待つことにした。

 知らず知らずのうちに寝入っていたようで、バラジェイさんの孫のソヤンに起こされたときにはすっかり朝になっていた。ふと見ると、テントの入り口からトナカイが黒い瞳でじっとこちらを見つめていた。いつのまにかテントはたくさんのトナカイに囲まれており、なかにはかわいらしい仔畜も混じっていた。漢方薬として高く売れる袋角(骨化する前の柔らかい角)が切り取られているのが痛ましかったが、トナカイたちは気にも留めていないようなのんびりした表情でキャンプ地のそこここに佇んでいた。

 

森の生活の現実

 1週間ほど経った頃にはキャンプ地の人たちとも少しずつ打ち解け、ウェジャ、エヴェンキ人男性のゲリンスカやコウサンと狩猟に出て森のなかで一緒に夜を明かす経験もできた。バラジェイさんはしばらくキャンプ地を離れることになったが、私のことは心配ないから安心してくれと言って見送ることにした。

 バラジェイさんがキャンプ地を後にして2日後、ソジュンという名の若い男がキャンプ地に遊びに来た。その日は私が持ち込んだ酒の最後の1本を開けて夜更けまで歓待し、そのまま男たちとテントで寝入ってしまった。翌日、再びウェジャとコウサンがソジュンと連れ立ってやってきて、「今日は何の日かわかるか?」と尋ねられた。分からないと答えると、香港返還の日だからお祝いをしたいのだが、食べ物と飲み物を買う金がないから少し貸してくれというのだった。ウェジャにはお世話になっていることもあって50元ほど渡すと、3人は喜んで10㎞ほど離れた林業局の作業場まで買い出しに行ってくると森のなかに消えていった。

 午後には戻ると言っていたのだが、彼らは日が暮れても戻ってこなかった。待ちきれずにウェジャの姉のリュシャがつくってくれたうどんで夕食も済ませ、私はテントに戻って休むことにした。テントを叩く雨音を聞きながらフィールドノートの整理や身づくろいをしながら待っていると、日付が変わる頃になって男たちは大声で騒ぎながら戻ってきた。コウサンが3リットルほど入るプラスチック容器を1つ抱えているだけで、食べ物などは買ってきていないようだった。男たちはすでに相当酔っぱらっていたが、まだ飲み足りないと言って私をつかまえにきた。リュシャはすでに眠っていたようだったが、ウェジャは姉をたたき起して料理をするようわめき始めた。リュシャはムッとした様子だったがいくつか料理を用意し、男たちはそれをつまみに酒盛りをはじめた。

 しばらくすると、気が大きくなったのかウェジャが料理がまずいと難癖をつけだした。リュシャも負けずに反論し、エヴェンキ語で口げんかが始まってしまった。私は、食べ物は明日また買いに行こう、今日はもう寝ようとなだめたが、誰も耳を貸してくれない。文句が飛び交い、ついにリュシャが野菜を切るため手にしていたナイフを投げつけてしまった。ナイフは煙突にぶつかり、大きな音を立てて床に落ちた。私はとっさにナイフをつかみ、テントの外に投げた。ウェジャはますます腹を立て、お椀を姉のリュシャめがけて投げつけた。お椀は頭に命中し、リュシャは涙を流して外に出て行ってしまった。

 私も我慢ならず、棒きれをつかんでもうやめろと怒鳴ってしまった。そのままいきり立ったウェジャと取っ組み合いになり、ソジュンもナイフを手に加わり、いつの間にかお尻を一刺しされてしまった。私は命の危険を感じ、ナイフを奪って外に飛び出して森へと駆け込んだ。アルコールと興奮で意識がもうろうとし、足を滑らせて雨で増水した川に飛び込んでしまった。水の冷たさに目は覚めたものの身体が動かず、数十メートル流されてからようやく水面近くまでせり出していた木の枝を掴むことができた。やっとのことで岸に身を引きあげたところで力尽きてしまい、しばらくは立ち上がることもできなかった。

 どれくらいそうしていたのか、遠くで私の名を呼ぶ声が聞こえた。コウサンとゲリンスカが探しに来てくれたようだった。無理に声を絞り出して「おーい、ここだ!」と叫び、見つけてくれた2人に担がれてなんとかテントに帰り着くことができたのだった。刀傷を布や綿花を燃やして止血してもらい、温かい布団に身を横たえるとそのまま泥のように眠り込んでしまった。

 翌朝になると体力はかなり回復しており、幸い傷口も膿んだりしていないようだった。すぐにリュシャが料理をつくってくれ、まだ寝ていた酔っぱらいの男3人を起こして皆で食べることになった。3人は前の夜の出来事について詫びることもなく、黙々と食事をとって出ていった。しばらく横になって休んでいるところに、ウェジャがやってきた。「トナカイを屠るから見に来ないか」。おそらくは彼なりのお詫びなのだろうと思い、私はカメラを手についていくことにした。前の晩に私が落ちた川のほとりにたどり着くと、ソジュンがすでに解体をはじめていた。ソジュンが所有権を持つトナカイだということだった。

 あくる日、ウェジャが別のキャンプ地に遊びに行かないかと誘いに来た。キャンプ地はいくつか見てみたいと思っていたので、まだわだかまりはあったがやはり黙ってついていくことにした。その晩は森で露営し、翌朝も林道沿いに2人で歩いていると、後ろから林業局のトラックが走ってきた。その先の作業場まで便乗させてもらい、おまけに酒を1杯ご馳走になることもできた。トラックを運転していた陳さんという作業員は、ウェジャが席を外しているときに「こいつと一緒に旅して大丈夫なのか?」と心配そうな顔をして呟いていた。

 作業場を後にして再び歩き始めてしばらくすると、ウェジャが今日は作業場に留まるべきだったと言い出した。私が先を急いだせいでせっかくの酒盛りのチャンスを棒に振ってしまったのだというのである。私が何も言わずに黙っているとだんだん激高しはじめ、突然銃口を私に向けて「お前は日本人なんだろう?ならば犯罪者だ。逮捕する!」などと口走り始めた。落ち着いて周囲の様子を観察しながら歩みを止めずにいると、前方の空に煙がたなびいているのが見えた。キャンプ地が近い証拠だった。すると、酔ったウェジャは樹の枝に頭をぶつけて銃を地面に落とした。私はその一瞬の隙に銃を奪い、キャンプ地目指して全力で走った。  

 チュニホウというそのキャンプ地には、ゲリンスカもやってきていた。ウェジャが後からやってくると伝えると、2人で迎えに行こうということになった。今しがた走ってきた道を1㎞ほど戻ると、なんとウェジャは木陰ですやすやと寝入っていた。数日後、私はちょうどチュニホウにやってきた車に便乗してオルグヤ村に帰ることにした。ウェジャはオルグヤ村には行かず、自分のキャンプ地に戻っていった。

 喧嘩もしたし、イライラさせられることも多かったが、ウェジャのおかげでトナカイ放牧の一端と森のキャンプ地での生活、密漁や伐採、そしてアルコールがもたらす問題についても知ることができた。何よりも、森に暮らす人々の現実を垣間見た収穫は大きかったと思う。私はウェジャたちに次の年もまた来ることを約束して、大興安嶺の森を去ることにした。

 

 *次回は5/9(木)更新の予定です。

 

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