第50回 コラム⑤「“北の自然”に魅せられて」

シベリアとアラスカ

 シベリアといえばどこか暗く、灰色がかったイメージが思い浮かぶのではないだろうか。確かに、ソ連時代には社会主義体制に反対した知識人が送られる流刑地であり、太平洋戦争後には捕虜となった多くの日本人が抑留された土地でもあった。アメリカやヨーロッパからみても、ロシア帝国時代から冷戦まで続いた領土やイデオロギーをめぐる対立を通じて眺められるべき場所であった。そういった歴史認識は、シベリアを語る際にどうしてもついてまわってしまう。一方で、アラスカについては雄大な自然が残され、伝統的な知識と誇りをもつ先住民が暮らす神秘的な土地であるというステレオタイプが繰り返し表現されてきた。

 シベリアとアラスカをめぐるイメージが大きく隔たっているのはなぜなのだろう。あくまで私見ではあるが、あえて簡潔に言ってしまえば、われわれは19世紀後半以降の歴史的経緯を背景としてつくられた色眼鏡を、いまでも後生大事にかけ続けているからだろう。またその過程には、単に歴史が横たわっているだけではなく、さまざまな文学作品の存在による影響があった。たとえば、ドストエフスキーの『死の家の記録』(工藤精一郎訳、新潮文庫、1973年)、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの『収容所群島』(全6巻、木村浩訳、新潮文庫、1975₋78年)、『イワン・デニーソヴィチの一日』(木村浩訳、新潮文庫、1963年)などは、ロシアのみならず欧米や日本においても、流刑地としてのシベリア、さらには人権を蹂躙する専制的なロシアというイメージを流布するきっかけになったとされる。

 しかし、2つの極北をめぐって描かれた民族誌や文学作品を比較しながら読んでみると、実のところ両者は同じく北極圏にあり、自然環境に決定的な違いがあるわけではないことがわかる。また、約1万年前にベーリング海峡を隔てて両岸に住むに至った人々が住む土地でもあり、文化的な共通性は意外なほどに大きい。中国東北地方の大興安嶺から出発してシベリアへとたどり着いた私の興味は、読書を通じてさらにアラスカを含む極北全体へと広がっていった。

 今回のコラムでは、シベリアとアラスカにまつわる作品を通じて、色眼鏡をはずしたときに見えてくる極北の魅力について考えてみたい。

 

『デルス・ウザーラ』

 『デルス・ウザーラ』(長谷川四郎訳、平凡社東洋文庫、1965年*1)は、ロシアの探検家ウラジミール・アルセーニエフの作品だが、黒澤明監督によって映画化(1975年)されたこともあって、日本でもよく知られている。デルス・ウザーラとは、シベリアの狩猟採集民ナナイのある男の名である。アルセーニエフは数度にわたるシベリア探検のなかで森に暮らすデルス・ウザーラと出会い、交友を深める。あるときデルス・ウザーラは病を患い、それを見かねたアルセーニエフは療養のためウラジオストックの自宅に彼を呼ぶ。しかし、街での生活は長くは続かなかった。自分は森と離れては生きていけない、いや、森と離れてまで生きていこうとは思わない。デウス・ウザーラはそう言い、森へと帰って死ぬ。

 私は自分の意思とはかかわりなくモンゴルの草原から引き離され、幾度もくじけそうになりながらも妥協を重ね、少しずつ私自身を都市の鋳型に合わせて変形させてきた。私だけでなく、文明に生きる誰もが目に見えない相手に合わせているだろう。しかし、デウス・ウザーラはそうではない。どこまでも自分の文化のなかに生き、そのままに死んでいった。おそらく彼は、思想や哲学といったものを通じて森を理解し、森で生きることを選択したというよりも、端的に森と一体化していたのではないか。到底まねができないものであったからこそ、私はデウス・ウザーラの人生に圧倒され、惹きつけられる。

 

『サハリン島旅行記』

 あまり目立つ仕事ではないが、ロシアを代表する短編小説の書き手であるアントン・チェーホフに『サハリン島旅行記』(邦訳未刊行、原題Остров Сахалин、1895年)という作品がある。ヨーロッパ各地で社会からつまみ出され、サハリンへと追われた知識人へのインタビューをもとに書きあげた紀行文である*2。そこには、高い教養と政治意識を持ちながら抑留地に身を置き、主流社会へと舞い戻るべく一縷の希望を頼りに生きる苦しみが語られる一方で、サハリンで家庭を築いて根をおろし、現地社会に新たな変化をもたらした人々がいたことが描かれている。

 『デルス・ウザーラ』もそうだが、多くの文学作品において、自然とともに暮らす先住民の姿は美しく、かくあるべきものとして描かれる。しかし、それまで身を置いてきた場所から否応なく引き離され、葛藤の末に異郷で生きる道を切り拓いたサハリンの抑留者は、常に暗いイメージとともに語られてきた。『サハリン島旅行記』はそうした捉え方を覆し、文化の境界を越えてきた「よそ者」であっても、その土地に暮らす人々と深くかかわり、ともに未来を築くことができるのだという気づきを与えてくれた。中国、日本、ロシアと渡り歩き、終始「よそ者」として生きてきた私にとって、それは胸のなかに小さな灯をともす発見でもあった。

 

『極北の動物誌』と『星野道夫著作集』

 『極北の動物誌』(ウィリアム・プルーイット著、岩本正恵訳、新潮社、2002年)は、アラスカに棲むさまざまな動物を主体として見立て、その世界を描いた作品である。たとえばトナカイの章では、彼らが常にオオカミに対する緊張のなかで暮らしていることが印象的に描かれる。トナカイはオオカミから身を守るため群れをつくり、600㎞にも及ぶ季節移動のさなかでも警戒を怠ることなく過ごすために役割を分担しなければならないのだという。一方、ムースは大勢で群れることを嫌い、家族単位で協力し合いながら暮らす。極北の自然のなかにあっても、生きるための知恵と工夫は実に多様なのである。

 極北の自然に向けられる動物のまなざしを、臨場感あふれる筆致で描き出す観察眼にも驚かされる。著者のウィリアム・プルーイットは、まさに極北の自然に一生をささげた人物だった。アラスカで計画されていた核実験場建設プロジェクトに反対し、生態環境調査の成果を根拠としてついには計画の撤回を勝ちとるが、その代償として祖国であるアメリカを追われてしまうのだ。

 私はこの本の存在を、同じくアラスカの自然に人生をかけた「よそ者」である星野道夫の『ノーザンライツ』を通じて知った。また、星野道夫は若くしてカムチャッカ半島で命を落としているが、私は彼の生前に著作を手にとったことはなかった。本と本のつながりは際限なく広がり、本は書き手の生命に縛られることなくいつまでも残る。星野道夫の作品はすでに『星野道夫著作集』(全5巻、新潮社、2003年)としてまとめられており、手に入りやすくなっている。私はすべての作品が大好きだが、『ノーザンライツ』のほか、『長い旅の途上』と『旅をする木』を推しておきたい。

 

『極北の夢』

 アメリカのジャーナリストであるバリー・ロペスもまた、極北の地に惹きつけられた「よそ者」の1人だ。カナダ北部とアラスカで先住民とともに過ごした経験をもとに書かれた『極北の夢』(石田善彦訳、草思社、1993年)では、厳しい寒さが鍛えた雪と氷の景観のみならず、そこに住む人と動物、さらには海のなかに広がる世界をも含めた総体として「極北」をみるホリスティックな視点が提示される。それは、オオカミやクジラなどの動物と先住民の伝統的な生活と世界観のかかわり、陸と海の動植物や鉱物に由来する資源のグローバルな流通、国民国家と先住民の関係をめぐる複雑な歴史など、さまざまな主体が織りなす物語なのだ。

 この本を読んで、私はシベリアとアラスカを連続した地域としてつなぐ極北という対象を、ようやく具体的なイメージをもって考えることができるようになった。人と自然、陸と海、入植者と先住民、そしてベーリング海峡の東と西、そういった垣根をとりはらって想像力を働かせたとき、単なる憧憬の受け皿としてではなく、実際に足を運んで確かめるべき土地としての極北が、私のなかで像を結ぶのだ。

 

 厳しくも美しい自然、先住民の伝統に根ざした知恵、地図上の空白が醸すロマン、そして未開拓の資源が生む利益、極北に惹き寄せられた「よそ者」が書き記す魅力は実にさまざまである。動物学者はあらゆる生きものが喜びを感じる春を描き、探検家は厳しい自然のなかで生き抜くことの尊さを語る。私にはそのなかのどれが正しいのかは分からないが、たとえ主観的ないし断片的であったとしても、著者が自らの経験したことに根ざした言葉がもっとも深いところまで響く。今回のコラムで紹介した作品の著者は、いずれも身を投げうって極北の地にかかわった人たちであった。

 私はアラスカではごく短い調査旅行をしたことがあるに過ぎないが、『極北の動物誌』や星野道夫の著作、あるいはジャック・ロンドンなどの小説を手にとれば、ごく自然にそれぞれの場面に吹く風や雪の肌触りを想像することができる。それはたぶん、極北の地に身をさらす経験のなかに、人と自然が混然一体となった輪のようなもののなかに自分を見出す瞬間があるからなのだと思う。その輪はシベリアとアラスカの境界を越え、もしかすると地理学的な北極圏にすら限定されず、モンゴルや大興安嶺などの人間が希薄な北の大地で狩猟や牧畜を営み、自然と直接かかわりながら生きる人々にも共有されているのかもしれない。

 私は50代半ばになったいまでも変わることなく極北に魅了され、自らの足を頼りに凍てついた大地を歩む情景を夢想している。ただし、なぜかという問いへの答えをはっきりと言葉にすることは、まだできそうにない。「北を語る言葉」を探ること、それは私の人生に残された時間のなかでやり遂げるべきもっとも大きな仕事である。

 

*1:平凡社東洋文庫版のタイトルは『デルスウ・ウザーラ』だが、ここではロシア語の発音に近づけるため「デルス・ウザーラ」と表記する。

*2:チェーホフのサハリン滞在はわずか2か月ほどだったが、馬車の事故に巻き込まれるなどの困難を乗り越え、膨大な量のインタビューをこなしてこの作品を書きあげたという。

Copyright © 2018 KOUBUNDOU Publishers Inc.All Rights Reserved.