第52回 「シベリアへ④」

▼前回までの記事はこちらです

 

 コトゥイ川流域でトナカイを飼うエヴェンキ人とともに過ごした10日間は、まさに夢のような時間だった。中国語の夏季集中講義を引き受けていたため一旦は後ろ髪を引かれる思いでクラスノヤルスクに戻らねばならなかったが、夏休みの間にもう一度エヴェンキ人のもとへと赴きたい。私は正直な気持ちを履修生たちに打ち明け、秋学期が始まってからの土曜日に授業時間を振り替えるかわりに、集中講義の期間を短縮してもらうことにした。学生たちは快く応じてくれ、新学期が始まるまでの約1か月間を、再度の調査に充てることができた。

 床に広げたシベリア地図とまる1日にらめっこし、今度の目的地は中央シベリア高原を流れるレナ川流域に定めた。レナ川流域の自然はツンドラから草原までさまざまだが、全域にわたってエヴェンキ人が暮らしている。土地ごとの環境に合わせてどのような生活を組み立てているのか、その広がりを見てみたいと思ったからだ。また、大興安嶺でお世話になったエヴェンキ人たちは元をたどればレナ川流域から南下してきたのだと言っていたが、現在では両地域に住むエヴェンキ人同士の連絡は途絶えてしまっている。そのつながりを自分の目で確かめてみたいというねらいもあった。

 行き先は決まり、資金もなんとか工面できそうだったが、実行に移すにはまだ問題が残っている。中国でもそうだが、社会主義体制の影響が色濃く残るロシアでは「調査」と名のつくことへの制限が大きく、身元のはっきりしない外国人の行動はとくに警戒されてしまう。知り合いの1人もいないレナ川流域に行ってみたとして、果たして自由に動けるのかどうか分からない。しかし、ここでも私は運に恵まれた。ロシア語を教えてくれていたカーチャのお母さんのマリーナさんが北方少数民族文化センターという研究機関に勤めており、レナ川流域の少数民族にも顔が広いというのだ。カーチャさんと一緒にマリーナさんを訪ねて事情を伝えたところ、嬉しいことに興味を持ってくれた。チタ州(現在のザバイカル辺彊区)カラルスク地方のヴェンキ文化センターに勤めるミラさんという友人を紹介してくれることになり、晴れてシベリアで2度目の調査に旅立つ準備が整った。

f:id:koubundou:20190913083959j:plain

カーチャさん

 

レナ川の支流、チャラ川へ

 クラスノヤルスクからシベリア鉄道に揺られて2日、ようやくチタに到着した。そこから飛行機に乗り換えて新チャラという街に飛ぶ。マリーナさんの友人、ミラさんはさらに北へ70㎞ほど離れた村に住んでいる。キュス・ケンダという村の名はヤクート人の有名なシャーマンからとったものらしいが、住人の大半を占める35世帯はロシア人で、ほかヤクート人3世帯とエヴェンキ人2世帯が暮らしているという。黒い森のなかに湖がぽつんと横たわり、そのほとりを半周分だけ囲むように木造の家屋が並ぶ。北に遠くそびえる山々の半身は、夏でも氷雪で真っ白に染められている。とても美しい村だった。

f:id:koubundou:20190913083840j:plain

 ミラさんには、夫のユーラさん、長女オリマ、長男アントン(24歳)と次男アンデレ(12歳)と4人の家族がいるが、みなで過ごせる時間は短い。150頭のトナカイを放牧しつつ狩猟も行うため、ユーラさんとアントンは1年の大半を森で過ごす。オリマとアンデレはミラさんとともに村で暮らしているが、荷物や伝言を父と兄に届けるためにときおり森を訪れることがある。社会主義時代にはミラさんも森でトナカイ放牧と北極キツネの飼育を行っていたが、2000年ごろ膝を痛めてからは、もっぱら「家の台所を守る仕事」をしてきたという。

 ミラさん一家が飼うトナカイは、村から北へ50kmほど離れたタイガにいるらしい。そこまで道らしき道はなく、移動手段は徒歩しかない。私はミラさん宅で1泊すると、あくる日からトナカイに会いに行くことにした。森の入り口までは車を持っていたロシア人に乗せてもらい、そこからは歩いて放牧地を目指す。サクガン川(エヴェンキ語で狭い川という意味で、レナ川の支流であるチャラ川のさらに支流にあたる)の流れに沿って進むと山の頂が3つ見えてくる。そのうち最も奥手にある峰の麓に放牧地があるらしい。私は3つの山をそれぞれ手前側からサクガンA峰、サクガンB峰、サクガンC峰と呼ぶことにし、ひとつずつ踏破していくことにした。

f:id:koubundou:20190913083917j:plain

森の入り口(2006年8月、以下同)

 いちばん手前のサクガンA峰には、半日ほどでたどり着いた。距離としてはさほど進んだわけではなかったが、湿地に足をとられながらの行軍で、体力的にはかなり辛いものがある。まだ日は高かったが、先を急ぐ旅でもない。サクガンA峰の麓を少しだけ登って見晴らしの良い高台を見つけると、早々にテントを張った。

 サクガン川にはハリウスという味の良いマス科の魚がいると聞いていたので、ものは試しとパンくずを餌にして網状の袋に入れて罠釣りを試してみることにした。驚いたことに、即席の罠だったにもかかわらず5分ほどで2匹がかかり、20分ほど待って袋を引き上げると7匹もの魚が力強く跳ねまわっていた。テントの近くで焚火をおこし、串に刺して炙る。内臓をとって塩をふっただけだったが、このうえなく旨い。村の売店で調達しておいたウォッカをとりだし、川のせせらぎを聞きながらちびちびとやる。タイガの夜を1人で満喫するうち、いつのまにか7匹のハリウスは腹のなかに収まっていた。

f:id:koubundou:20190913083930j:plain

サクガン川

f:id:koubundou:20190913085902j:plain

ハリウスの塩焼き

 

ヒグマと出会う

 翌朝は5時頃に寒さで目が覚めた。砂糖をたっぷり入れた紅茶をすすりながら、朝露をまとった紅葉で輝くタイガの姿に心を奪われる。再びサクガン川に降りてハリウスを4匹捕まえ、今度は刺身にして食べる。自然の力をもらって身体中に活力が漲るようだ。

 サクガンA峰をあとにして丘を2つを越えたところで、見知らぬ渓流とサクガン川が合流した。徐々に森が密になり、湿地もさらに頻繁に行く手を阻むようになった。ところどころかサクガン川を離れて迂回せねばならず、流れを見失わないよう神経を使いながら歩みを進める。日が高くなるにつれて気温はみるみる上がり、午前10時頃には20度を超えた。暑さに音をあげて分厚い上着を脱ぎ、木陰に寝転ぶ。木の葉を揺らす風音が心地よい。ふと、目の前に黒々とした小さな果実がひと房揺れているのが見えた。メガネをかけて辺りを見回すと、なんとブルーベリーの群生地に寝転んでいた。夢中でむしり取るように摘んでは、甘酸っぱい実を頬張る。さらに欲張って果実を追いかけてみれば、ものの5分ほどで小鍋一杯分の果実を収穫できてしまった。

f:id:koubundou:20190913083937j:plain

ブルーベリー狩り
10分足らずでこれだけの量を収穫できた

 そこからは谷あいを遡行するように緩やかな登りが続き、午後2時くらいにはサクガンB峰の麓にたどり着いた。今度も見晴らしのよい場所を探して昼食をとり、食後はうたたねと決め込む。冷たい風に吹かれて目を覚まし、寝ぼけ眼をこすっていると、遠くないところで聞きなれない動物の鳴き声がした。ひょっとするとヒグマかもしれない、瞬時にそう感じ、ナイフで鍋の底を激しくたたく。ややあって50mほど離れたところで灌木が大きく揺れ、2頭の子どもを連れたヒグマが去っていく姿が見えた。サクガン川をゆっくりと渡りきって対岸にたどり着くと、母熊が振り向いて私を見た。恐怖で呼吸が止まってしまった。

 振り返ってみれば、たぶんヒグマの母子も怖かったのだろう。タイガの侵入者は私の方だ。速やかに彼らの縄張りから出て行かねばならない。火とごみの始末を済ませて先を急ぐことにした。何度か小休止を挟みつつ夜の9時頃まで歩き続けたが、サクガンC峰まであと5、6kmほどのところで足がけいれんし始め、スタミナもほとんど尽きてしまった。手早くテントを張って少しだけ足を休めてから、サクガン川へとハリウス釣りに行く。ところが今回は20分待っても袋罠には1匹も入ってこず、あきらめかけたその瞬間、ハリウスの2、3倍も大きな魚がかかった。両手に抱えてテントに戻り、ライトで照らしてみるとどうやらシグというマス科の魚のようだ。じっくり炙り焼きにして食べると、これもハリウスに負けず劣らずおいしかった。

 ヒグマと出会った興奮か、根をつめて歩きすぎた疲れのせいか、その晩はなかなか眠りにつけなかった。なぜかウォッカもあまり進まず、コップ1杯だけにとどめて星空を眺めながら長い夜を過ごした。流れ星が輝いては尾を引いて消え、また輝いてははかなく消えていく。澄みわたる空気の匂いと音を感じるだけで、頭のなかは不思議と空っぽだった。

 

ユーラキャンプ地

 いつの間に眠りに落ちたのか、雨音で目が覚めた。午前9時半、やはり寝過ごしてしまったようだが、わざわざ雨のなかを歩くこともないと思い直し、テントのなかでノートに観察記録をつけることにする。昼前に雨が上がり、焚火を起こしてシグの残り半分とパンを温め、味噌汁をつけて遅い朝食にする。

 ユーラさんとアントンがいるキャンプ地はサクガンC峰の向こう側にあるらしかったが、左右どちらを回って越えるべきだろうか。地形を見て判断しようにも、あいにく霧で見通しが悪く山容を観察することができない。仕方ないのでコインで決めよう。表なら右まわり、裏なら左回りで行く。手のひらから現れたコインは表だった。

 運に任せて選んだ右回りルートにはこれといった難所もなく、すんなりとサクガンC峰を越えることができた。ところが、サクガンC峰を越えた先に広がる平野にたどりついたはいいものの、肝心のキャンプ地は見当たらなかった。オリマによれば、ユーラさんのテントは丘の上に立っているため遠くからでもよく見えるはずだったが、いくら探しても見つからない。トナカイの糞や足跡を調べてみても、見つかるのは年月の経った古いものばかりだった。現在のキャンプ地はこの付近にはないということだ。タバコをたて続けに吸いながら、ユーラさんとアントンを探す方法を思案する。パンはかなり食べてしまったが、塩漬けした豚の脂身、ドライフルーツ、チョコレートなどはほぼ手つかずのまま残っている。時間さえかければ、ハリウスやブルーベリーもまた手に入るだろう。飢え死にする心配はひとまずなさそうだったが、ユーラさんたちに会えなければエヴェンキ人のキャンプ地での暮らしを知ることができない。それでは、今回の旅は調査ではなく冒険で終わってしまう。

 やはり、サクガンC峰を迂回したのがまずかったのだろうか。コインを投げて右回りを選んだが、逆側にテントがあるのかもしれない。しかし、ここからではサクガン川の流れが速すぎて徒渉できそうにない。ひとまずサクガンC峰を登って高いところからキャンプ地を探してみよう。ときどき足を止めてサクガン川の対岸を眺めながら山肌を登り、およそ18,00mほどのところで双眼鏡を覗くと、案の定川の向うに木を組み合わせたテントが建っているのが見えた。再びサクガン川へ降りると、その辺りで川幅が広がっていたおかげで水深も浅く、なんとか渡れそうだ。思い切ってざぶざぶと足を踏み入れてみる。流れの速さはさほどでもないが、水が冷たく足の先から力が抜けていくようだ。歯を食いしばって冷気に耐え、対岸にたどり着いた。全身の震えが止まらず、ウォッカをあおって身体を暖めながら濡れた服を絞る。少し落ち着いてから川に温度計を入れてみると、水温は3度だった。

 ようやくテントに着いた頃には、すっかり日も暮れてしまっていた。声をかけてもテントのなかは静まり返ったままで、扉を開けてみるとなかには誰もいなかった。小麦粉、油、塩、砂糖などの食料はあるが、鍋や寝具は見当たらない。ユーラさんとアントンはここにもいないようだった。疲れ切っていた私は釣りに行く気力もなく、ユーラさんの小麦粉を少し拝借してモンゴル式のちねり粥(バンタン)をつくり、豚の脂身をおかずにして夕食にした。

f:id:koubundou:20190913083944j:plain

ユーラさんのテント

 ユーラさんのテントは20本の木の棒を骨格にし、松と白樺の樹皮で覆ってつくられていた。内部は思いのほか広く、風も入らず快適だった。このテントで寝泊まりしながら家主の帰りを待ったが、4日目になってもユーラさんは戻ってこない。テントのそばでタバコをふかしながら夕日を眺め、もう1日だけ待って音沙汰がなければ村に戻ろうと考えていたそのとき、ふと人の気配を感じた。テントから20mほどのところに男が1人立っていた。慌ててタバコをもみ消してから、とっさにロシア語で「こんにちは」と挨拶の言葉をかけてみる。男は頭を少し下げて私に近づき、タバコを1本くれないかと笑った。彼はワシリエフと名乗り、聞けばユーラさんの弟だという。ユーラさんはトナカイを連れてさらに北西に行っており、ワシリエフさんも昨日まで一緒だったそうだ。

 その晩は中国風のクレープ、昼間のうちに採っておいたカイワレ大根とキノコの味噌汁をつくり、遅くまでワシリエフさんと2人でウォッカを酌み交した。夜が明けたらユーラさんを呼びに行ってくれるというので、ようやく目的を果たせると安心して眠りに就くことができた。

 翌朝、6時頃に目が覚めるとすでにワシリエフさんの姿はなく、キノコ採りをしながら近くを散策して待つほかなかった。日没からしばらく経った頃、雨音の向こうからトナカイが地を踏む音が近づいてきた。テントの外に出ると、ワシリエフさんががっちりと体格のよい男を連れて立っていた。ユーラさんだった。ユーラさんは肩に銃をからげ、腰には4匹のタラバガン(モンゴルマーモット)をぶら下げていた。獲物は私を歓迎するために仕留めてきてくれたのだという。

f:id:koubundou:20190913083952j:plain

ユーラさんが仕留めたタラバガン

 次の日にはアントンも、トナカイの群れを連れてテントにやってきた。タイガの森で飼育されるトナカイは、平原育ちのトナカイとはどこか違った気品があるような気がした。私は彼らに、しばらく一緒にいさせてもらえるよう挨拶をしてまわった。このときユーラさんたちと過ごせたのはわずか1週間だったが、トナカイ放牧、釣り、パンづくりなどトナカイ牧畜民の日常を体験できたことはとても嬉しく、忘れられない時間になった。

 キャンプ地からの帰路はユーラさん、アントンが送ってくれたので迷うこともなく、トナカイの背に荷物を載せてもらったので拍子抜けするほど楽だった。それだけでなく、森の入り口まで来て電波を拾えるようになると村に電話をかけて車の迎えを呼んでくれ、まさに至れり尽くせりだった。しかしユーラさんは湖畔の村まで足を運ぶことなく、私を車に乗せると別れの言葉を告げ、トナカイに跨ってあっという間に森へと消えていった。キャンプ地に残してきたトナカイの群れが心配だったのだろう。妻や子供が住む村のすぐそばまで来ていながら、家族の顔を見るよりもトナカイの世話を選ぶ。その姿を見て、エヴェンキ人とトナカイのつながりの深さをあらためて感じさせられた。

f:id:koubundou:20190913083927j:plain

旅を終えての記念撮影
右からロシア人、ユーラさん、アンデレ、アントン、私

 湖畔に建つキュス・ケンダ村では、ミラさんの家でさらに3泊お世話になった。その間、ミラさんは社会主義時代とその後のトナカイ放牧の変化、働き方の違いなどについてとても丁寧に教えてくれた。また、ヘラジカ、野生のトナカイ、ライチョウ、いろいろな種類の魚などを使ったご馳走をつくり、カーチャさんのお母さんに紹介してもらっただけの私を最後まで歓待してくれた。

 シベリアの大地で過ごしたこの夏は、素晴らしい思い出として心に残っているだけでなく、私の人生に、その後も途切れず続くユーラさん一家との出会いを残してくれた。

 

Copyright © 2018 KOUBUNDOU Publishers Inc.All Rights Reserved.