第53回 「バイカル湖」

冬のバイカル湖

 2006年12月、クラスノヤルスク大学での留学生活を切り上げて急遽日本へ帰国することになった。縁あって大阪大学で職を得たからだった。2年前に不安を抱えながら降り立った駅のホームから列車に乗り込み、クラスノヤルスクをあとにする。車窓にバイカル湖が映ると、往路のときと同じく、乗客たちは「バイカル湖だ!」と騒ぎはじめた。このときは私もまた興奮を覚え、隣の人たちと一緒に朝日にきらめく湖を一心に眺める。ブリヤート人、そしてエヴェンキ人たちにとっても、バイカル湖は聖なる場所とされていたからだ。

 私はウラジオストック行きの列車を途中下車し、バイカル湖南岸に建つブリヤート共和国の首都ウラン・ウデで数日間逗留することにした。冬のバイカル湖は分厚い氷で覆われるため、湖畔に住む人々は湖上を歩くことができ、自動車が行きかう道すら敷かれる。湖をわたってエヴェンキ人の村を探してみようかとも考えたが、マイナス50度を下回る寒さのなかで迷えば命を失うことにもなりかねない。もうすぐ大阪での仕事が始まるため、あまり無理することはできない。結局は氷に穴をあけて釣りをしたり、ウラン・ウデ市内で観光をしたりしてのんびり過ごすことにした。

 

バイカル湖とエヴェンキ人

 バイカル湖西南端から流出するアンガラ川沿岸に建てられたイルクーツクの街には、もっぱらバイカル湖をテーマとする博物館がある。三日月型のこの湖は、実に680㎞と南北に長く、東西の幅も最大80㎞と大きい。凍結していない世界の淡水の20%近くがこの湖に湛えられており、その透明度は他に類をみないほど高いのだという。博物館ではそうした情報とともに、湖の西端部から流出するアンガラ川に巨大な水力発電ダムが建設されたことが誇らしげに紹介されていた。

 かつてブリヤート人やエヴェンキ人が聖地として崇めた存在も、ロシア人の目には巨大な資源としてのみ映ったのだろう。帝政ロシアの勢力下に置かれて以降、バイカル湖はさまざまなかたちで開発され、利用されてきた。第二次世界大戦中にはバイカル湖で採れる魚の缶詰が兵站を支え、20世紀後半には製紙や製鉄などの工業を無尽蔵の水が支えた。その一方で、比較もできないほど慎ましいやり方ながらこの湖を頼りに生きていたはずのエヴェンキ人たちは徐々に湖や川のほとりを追われ、山へと移り住むようになっていった。イルクーツクの博物館にはエヴェンキ人の伝統的な住居が展示されていたが、それもダム建設による水位上昇のため湖面の下に沈んだ集落から移設されたものなのだ。

 いや、もしかするとエヴェンキ人たちは自ら進んで山へと移ったのかもしれない。ダム建設によって大きく景観を変え、工場から流れ出す排水に汚された湖は、どこかの時点で聖地ではなくなっていたのかもしれない。いずれにせよ、トナカイを飼い、狩猟を知るエヴェンキ人にとって、山もまた暮らすのに適した場所だった。しかし、その後もエヴェンキ人にとっての受難は続いた。ソ連時代には生産集団化政策によってトナカイ放牧が人為的に組織化されたコルホーズのもとで行われたが、その間に伝統的な放牧の方法が失われ、コルホーズの解体と続く混乱のなかで多くの人々がトナカイを手放してしまった。現在でもバイカル湖北東部の山間にはエヴェンキ人が居住しているが、彼らは狩猟やウシの牧畜と自家菜園、そしてわずかな観光収入に頼って暮らすようになっている。

 

美しきバイカル湖

 バイカル湖を再び訪れるチャンスは、思いのほか早く翌年の夏に訪れた。イルクーツクを経由して湖の北東端に位置するニジュニェアンガルスク空港へ飛び、周辺のエヴェンキ人を訪ねて歩いた。

 ある日牛飼いの家族と知り合い、牧草の収穫を手伝わせてもらったところ筋がいいと褒められ、料理を振舞うとさらに気に入ってもらえた。1週間ほどそこで過ごしているうち、彼らが湖よりも山の美しさを誇らしく語ることに気づいた。また、山なみごとにずいぶん姿が異なっていることにも興味を惹かれた。西北側に見える山は真っ白な雪で覆われているのに、東南側のバルグジン山脈は紅葉で色鮮やかに染まっている。

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バルグジン山脈(筆者撮影)


 私を「雇ってやる」と言う牛飼いの家族に暇をもらい、数日かけてバルグジン山脈へと分け入ってみることにした。驚くほど複雑な植生と、たくさんの動物が目に入る。山の上から見下ろすバイカル湖は、湖畔に立って見るよりもずっと美しい。ふと、この森こそがバイカル湖の豊かな水と生きものを育てているのではないかと思った。湖をとりまく山々に端を発する無数の渓流は、すべてバイカル湖へと注ぐ。方角と地形によって少しずつ季節が移り変わる時期を異にする山々から、常に清らかな水と豊富な養分を含む木の葉が運ばれてくるからこそ、バイカル湖は近代以降の歴史のなかで資源開発が続けられてなお、美しい姿を保っていられるのではないだろうか。その発想が頭に浮かんだとき、なぜだか同時に、この地域に住むエヴェンキ人とバイカル湖のつながりが少しだけ理解できたような気がした。

 バイカル湖を去る前の日、カヌーを借りてウォッカと釣り竿を抱えて乗り込んだ。湖上で釣りをしては焼いて食べ、酒を飲む。私は泳ぎがからっきしなので、カヌーから落ちたら死ぬしかない。はじめは少し怖かったが、酒が回ってくると、死んだらバイカル湖の魚のエサになるだけだ、それならまあいいやという気がしてくるのだった。

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癒しの一日(筆者撮影)

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バイカル湖の魚(筆者撮影)

 

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