第56回 「オンギー川で出会った人びと②―モンゴルの環境(みらい)に向けて」

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研究者としてニンジャとかかわる

 現代を生きるために必要な金を得るため、敬うべき自然を自らの手で汚すことに苦しみつつニンジャとなる人たち。彼らとの出会いは、私が思いもしなかったモンゴルの実像を知らせるものだったが、同時にその後モンゴル国に深くかかわっていくきっかけともなった。ようやく民主化を果たして市場経済化の道を歩み始めたモンゴル国にとって、それは避けて通ることのできない課題だと思えたからである。

 ニンジャとは、豊かさと引き換えに激しい競争の原理をも招き入れたモンゴルの縮図である。経済的発展だけを追い求める流れを変えなければ、ニンジャはとめどなく増え続け、モンゴルの社会はいつか決定的に分断されてしまう。変化はあまりにも激しかったが、法律や政策による対応を見る限り、それだけで流れを止めることはできそうになかった。調べれば調べるほど、私自身も何かしなければならないという焦燥が募った。

 学問の道を歩んだ私にできること、それは人類学者としてニンジャとかかわっていくことだった。ちょうどその頃、オンギー川で出会ったニンジャたちのなかに、文化人類学を学び始めた若者がいるという話を聞いた。砂金採掘で得たお金で進学し、モンゴル国立大学のボンボオチル先生という人類学者とともにニンジャの研究をしているのだという。修士論文をもとに出版された『儲かっているか(ブルザイジ バノー)?――ニンジャたちの生活とその組織』は、自らがニンジャであった経験と、そこで培った人脈を研究に昇華した素晴らしい本だった。

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『儲かっているか(ブルザイジ バノー)?――ニンジャたちの生活とその組織』表紙

 

  私はボンボオチル先生に連絡を取り、バヤンホンゴル出身のムンフエルデネさんというその若者を紹介してもらうことにした。有難いことに日本の科学研究費助成事業から研究資金を得たため、ムンフエルデネさん、ビャンバートルさんなどモンゴル人研究者と共同でオンギー川流域のニンジャを実地で調査することになった。私はのべ52日にわたってオンギー川流域400㎞をめぐり、108世帯の遊牧民家庭を訪問して聞き取り調査を行った。また、モンゴルの研究者たちを水俣市に招き、水銀による健康被害の歴史を知ってもらう機会もつくることもできた。さらに、2011年3月には大阪で「遊牧の世界と『ニンジャ』たち」という国際会議を開催し、翌2012年9月にはモンゴル国の首都ウランバートルでも「対話を通じて」と題した第2回会議を催すこともできた。そこでは、人類学だけでなく環境学などさまざまな領域の研究者と、ニンジャやニンジャを支援する団体の代表者などがともに議論する場が実現し、のちにニンジャに水銀使用の危険性を知らせる運動や、政府の支援の下でニンジャを企業体として組織化する運動として結実した。

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「遊牧の世界と『ニンジャ』たち」ポスター

 

 私はそれらの国際会議を経て、ニンジャたちが直面する困難を解決へと導くためには、人類学だけでなくさまざまな研究領域の知見を総動員しなければならないという思いを抱いた。諸説あるが、ニンジャは約300万人を数えるモンゴル国民の5~10パーセントを占めるとされ、1人で調査できる範囲を大きく超えていた。人類学的なミクロな調査からニンジャの声を聞くことは重要だが、社会の仕組みを捉えるマクロな視点を欠いてしまっては、オンギー川流域の美しい草原を取り戻すという大きな目的に向かうことはできないだろう。モンゴルにおける人と自然の関係を長い目で考えるには、あらゆる学知を持ち寄らねばならないと思ったのである。

 

できることからはじめる

 とはいえ、会議の場でいくら議論が白熱しても、ニンジャたちの暮らしがすぐに変わるわけではないということも事実だった。学問領域の垣根を越えてニンジャ研究に取り組む基盤づくりを進める一方で、研究という土俵そのものを離れなくてはできないことがあるという気持ちも高まっていた。私にできることは他にないのか。自問自答する日々が続くなか、バヤサさんの両親がオンギー川の環境を守る団体で活動していると聞いて、すぐに入会を申し入れた。まずは資金的な支援など日本にいながらできることから始め、やがてオンギー川流域の遊牧民が通う小学校で環境問題を考える授業を行うプロジェクトなど、徐々に現地での活動にもかかわるようになっていく。

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干上がったウランノールに立つ著者(左)とオンギー川保護会のメンバー
(2009年2月、現地住民撮影)

 

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環境問題を考える授業を行った小学校の5年生の作品
水をたたえるウランノール(湖)は、彼らの記憶のなかにあった

 

 さらに、バヤサさんの遠い親戚で、遊牧民環境保護組合という組織を設立したネルグイさんと知り合ったことがきっかけとなり、自然保護だけでなく遊牧民の生活支援に取り組む活動にも加わることになる。ネルグイさんは1960年代初頭にモンゴル国立農牧業大学を卒業してから半世紀近くウブルハンガイ県で牧畜と農業に関する行政に携わり、定年退職したのち、県内のツァガンボルガソントホエという地域で、モンゴル国内では珍しい柳の群生地を守る活動を始めた人だった。2010年以降、私はネルグイさんとともに、柳林やオンギー川流域の湿地の保護と回復を目指すさまざまな活動に力を注いでいる。数年後には少しずつではあるが成果も出始め、乾燥した柳の葉を冬の間に弱った家畜の飼料として蓄え、寒害に備えることもできるようになった。再び元気な姿を取り戻した柳林の隣にはキャンプ地が設けられ、観光客と子どもたちの環境教育のための拠点となっている。

 オンギー川流域は、モンゴルでもっとも早く開発の波が押し寄せた地域であり、また地元の住人を主体とするはじめての環境保護活動が始まった場所でもある。ネルグイさんが守り抜いた柳林の力強い姿は、モンゴルの未来に希望があることを語りかけてくれているかのようである。

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