第62回 「生きること①」

 文明は紛れもなく人類が築きあげたものだが、私たちはそれを上手に飼い慣らせているだろうか。個人も社会も、日進月歩の速度で更新されていく道具やシステムに振り回され、追いつくだけでへとへとになっているように思う。高度に発達した科学技術に支えられた生活は確かに便利で快適かもしれないが、それに見合っただけの幸せを日々感じている人がどれだけいるだろう。文盲から「文明」へと題したこの連載の締めくくりとして、今回から数回に分けて「文明」のなかで生きることの難しさと希望について考えてみたい。

 

「顔」

 数年前、連載第54回で紹介した水俣市の吉本哲郎さんを大阪大学に招き、学生たちに講義をしていただいた。久しぶりにお会いした吉本さんから、「スーさん、なんだか日本人みたいな顔してるねぇ」と声をかけられた。そういえば、近ごろではロシアやヨーロッパでも日本人かと尋ねられるようになった。実はそんなとき、私もようやく洗練されてきたのかなと嬉しくて、「日本から来たモンゴル人です」と答えては驚かれるのを少し楽しみにしていた。しかし、吉本さんは昔の方がずっとよかったという。前の顔はもっと明るくて純粋だったのに、いつの間にか気難しそうな顔になっているじゃないか、そう言われてはっとさせられた。

 吉本さんの言葉をきっかけにあらためて自分自身の変化を省みると、たしかに理屈でものごとを考えがちになり、授業でもたまに知識をふりかざしてしまうことがあった。効率よく仕事を進めることを優先し、予定が乱れるといらいらしてしまったりすることもある。すくなくとも遊牧民の感性からは、ずいぶん遠いところに来てしまったようだ。そのことに気づいたとき、草原をあとにして街暮らしをはじめた頃に覚えた不安にも似た、根無し草になってしまったような感覚が襲ってきた。

 この10年ほどの間に、モンゴルでは馬に振り落とされ、シベリアではトナカイの背中から滑って川に飛び込んでしまったことがある。フィールドスタディで学生たちと一緒にゲルに宿泊したとき、私だけが風邪をひいてしまったこともあった。いまの私には、かつてのような遊牧民の暮らしはできそうにない。都会の暮らしに飽きたら草原に帰ればいい、冗談でそんな風に口にすることはあっても、本当はもはや遊牧の生活に戻ることなどできない。それは自分でも分かっていたし、切ない気持ちはあるが、仕方がないことだとも思っていた。しかし、いつの間にか身体だけでなく、心のなかにあったものまでも失いかけていたのかもしれない。そう気づかされたのだった。

 

地域とかかわる

 いつかまた、吉本さんにいい顔をしているねと言ってもらいたい。そのために何をすべきかを考えた末にたどり着いたのが、フィールドで出会う人や自然とのかかわりをさらに深めていこうということだった。都会の喧騒を離れ、地域の人や自然との触れ合いのなかに身を置く時間だけは、さまざまな不安をしばし忘れることができる。その時間をもっと大切にしていけば、都会で過ごす間も元気でいられるはずだ。そうだ、どうせなら自分だけでなく学生たちの「顔」も変えてしまおう。そう思い立ってからは、大学での仕事にも一層張り合いが持てるようになった。

 この連載でもすでに紹介したように、大阪大学のフィールドスタディ・プログラムでは、のべ100人以上の学生たちと一緒に「顔」を突き合わせてきた。数年前、モンゴルでのフィールドスタディで鉱山開発とニンジャ(連載第55回参照)の現状を調査課題に据えたことがあった。理系の学生が多かったのもあって、事前学習では環境保護に関する先端的な技術や知識をどのようにしてモンゴルに移転させるかといった議論が中心になされていた。しかし、実際に採掘の現場に足を運び、ニンジャや遊牧民たちに話を聞くなかで、学生たちの発想は大きく転換していった。

 なぜ環境を破壊してまで地下資源を得ようとするのかという学生の問いに、あるニンジャが「そりゃ儲かるからね。ここで掘っているものは、君たち日本の企業が高く買ってくれるよ」と答えた。学生たちはその言葉の意味を考えて、目の前で起こっていることが他人事ではないと気づいたようだった。「モンゴルの環境破壊の原因は自分にもある」。そう口にしたある学生は、モンゴルの草原と日本とをつなげて考える方法を模索し始め、私たちが使っているスマートフォンにもモンゴルで採掘されたレアアースや貴金属が使われていることをつきとめた。

 たとえニンジャたちがお金のために環境破壊に手を染めているようにみえたとしても、すくなくとも日本に住む私たちが口先だけでとやかく言うことはできないだろう。私たち自身も常に効率的にお金を稼ぐことを優先させているのだし、私たちが享受する便利な生活は、世界中からお金にものを言わせて買い集めた資源を消費することで成り立たっているからだ。住人の環境意識が足らない、開発をする際の環境アセスメントが欠けている、それを認可した政治の利権構造が悪い。そうした批判は部分的には正しいのかもしれないが、どこか上辺をなぞっているだけのように聞こえる。今日の世界には、そんな風に「誰か」のせいにして済ませることはできない問題がある。学生たちはフィールドに足を運ぶことで、そのことを実感したようだった。

 はじめのうちはモンゴルの草原を見てただはしゃいでいた学生たちだったが、それからは自然を眺める目つきも変わっていった。自分たちが、目の前の自然の未来を左右する大きな流れのなかにいる。その自覚が、美しい写真を鑑賞するような他人事の視線とは別の見方を教えてくれたのではないだろうか。遊牧民やニンジャたちの前で見せる表情もいつからか素直なものになり、相手に気を遣って張り付かせていた行儀のよいほほ笑みではなく、はじけるような心からの笑顔が飛び出すようになっていた。フィールドでの経験を通じて、学生たちの「顔」は少しだけたくましくなっていた。

 

不安を乗り越える

 とうの昔に草原を去った人間が今さら戻ってきて、いったい何ができるというのか。どこかでそんな負い目を感じていたのかもしれない。モンゴルで出会ったネルグイさんやゾンドンダンバ氏、そしてニンジャたちからは本当に多くを学ばせてもらったが、私の方から一歩踏み込んで彼らに意見したり、何か新しいことを提案することには躊躇があった。鉱山開発や過放牧によって荒廃する草原をみて心が痛むことはあっても、それは自分の手の届かないところで起こっていることだという線引きをしてしまっていたのかもしれない。しかし、フィールドと自分のつながりを意識することで変わっていった学生たちの「顔」をみて、私も変わらなければならないと思うようになった。

 モンゴルと私自身のつながりをもう一度築き直せたなら、失いかけてしまっている「顔」を取り戻せるかもしれない。遠慮がちになる気持ちを振り払って、モンゴルの自然の現在と未来を自分自身の課題として考え、地域の人たちと正面から向き合ってみよう。では、そのために自分ができることは何だろうか。中国や日本、ロシア、ドイツなどを転々としながら暮らし、また学問と教育を通じて大興安嶺やシベリア、雲南などの地域ともかかわってきた経験を活かせば、モンゴルのことだけをみていては分からないアイデアを提案できるのではないか。私だけでなく、フィールドスタディを通じて学生たちもとても面白い発想をみせてくれる。彼らの若い力を借りることができれば、モンゴルだけでなくさまざまな地域ともより深くかかわっていくことができるかもしれない。

 地域を知り、尊重するだけのところに踏みとどまらず、地域を超える視点を鍛え、地域と地域をつなぐ実践をしよう。それが、私がたどり着いた答えだった。私の記憶にある遊牧の暮らしは世界中のどこにもないかもしれないが、モンゴルの草原に赴けば、かつてとは姿を変えながらも遊牧を営んで暮らす人たちと出会うことができる。地域のよさがなくなっていくのを遠くでみていると不安が膨らむばかりだが、自然と文化の継承にかかわる実践に身を投じれば、不安だけでなく希望を抱くことができる。吉本哲郎さんは、お金がない、お洒落なデパートやレストランがないと嘆く人は多いけれど、地域にあるよいところをみつけられる人はなかなかいない、だからこそ「あるもの探し」が大切なのだという。もちろんモンゴルや雲南、シベリアにだって素晴らしいもの、感動できるところはたくさんある。「あるもの探し」をヒントに、学生たちの力を借りながら地域の人と自然の未来にかかわっていこう。現在の私は、そのための実践に全力投球している。

 

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