第63回 「生きること②」

心の声を聴き、自由に生きる

 ここまで連載を読んでくださった方はもうお分かりかと思うが、私は将来の目標といったものを自分から立てたことはなく、節目ごとに現れる人や本との出会いに導かれるようにして、これまでの人生を歩んできた。岐路に立ったときには心の声に耳を澄ませて歩むべき方向を選んできたつもりなので、決して行き当たりばったりというわけではないのだが、身の振り方にあれこれと思い煩うことはなかった。そもそも、文化大革命という巨大な時代のうねりに翻弄されて育った私にとって、生き方を自らの手で選ぶという発想すらなじみのあるものではなかった。そんな私からみれば、平等で質の高い教育制度が整い、居住や就業に制限がない日本で育った若者は、努力次第で夢をかなえ、何にだってなれる可能性に恵まれている。ところが意外なことに、この10年ほど学生たちをみてきた限りでは、ときに人生に悩んだりすることはあっても、結局は社会に敷かれたレールに沿った生き方を選ぶ若者が圧倒的に多いようだ。

 厳しい受験競争を突破して大学に入り、これまた熾烈な就職戦線をクリアして自分の力を発揮できそうな企業に勤め先を得る。みな精一杯の努力をしているのは確かなのだが、その一方で、歩むべき方向を本当に自分の目で見定め、道を切り拓いていく若者はごく少ない。私が知る学生たちの多くは優秀で努力家だし、個性もしっかり持っているが、人と違うこと、誰も教えてくれないことに挑むのが苦手なようだ。学生のうちに心がときめくこと、苦労を厭わず追求できることを掴みかけても、それを世間に認められた「仕事」という枠組みのなかに押し込めようと四苦八苦した挙句、どこかで諦めたり妥協してしまったりしているようにみえるのだ。

 文明社会に育った彼らにとって「仕事」の選択が一大事なのだということは理解しているが、そんな姿をみていて勿体ないな、もどかしいなと思うことはしばしばある。肩の力を抜いて心の向くままに生きることだってできるのだと伝えたいが、生まれも世代もかけ離れた私に助言する資格があるのかどうか、どうしても迷ってしまう。だからこそ、できる限りたくさんの学生をフィールドへ連れ出し、さまざまな生き方があることに気づく機会を用意したい。モンゴル、雲南、そしてもちろん日本にも、心の行くまましなやかに、個性を生かして逞しく生きている人はいる。そうした人との出会いを後押しすることで、これからの時代をもっと自由に生きる術をみつけてほしいと思っている。

 自由に生きるには、社会のシステムや共有された価値観に従うだけでなく、それらに疑問を投げかけ、ときには社会に抗することを厭わない勇気も必要になる。最近ヨーロッパでベストセラーになったフレデリック・ルノワールの『スピノザ よく生きるための哲学』(田島葉子訳、ポプラ社、2019年)では、自分の内側から聞こえる声を拾いあげて築いた価値基準にしたがって生きようというスピノザの哲学が分かりやすく紹介されている。ぜひ一読をお勧めしたい。とはいえ、当然ながらすでにある規範や道徳を相対化し、自分なりの価値基準を打ち立てるのはそう簡単なことではない。おそらく本を読んですぐにできることではなく、徹底して自らを省みる経験が不可欠になる。これはあくまで個人的な見解なのでやや飛躍するかもしれないが、私は自然のなかに足を踏み入れるとき、もっとも静かに自分の心の声に耳を澄ますことができる。しがらみや喧騒から少しだけ距離を置くことで、本や人との出会いから得た刺激を落ち着かせ、自分自身に起こった変化を見つめる。そうすれば、自分が歩むべき道はおのずと見えてくる。モンゴルの草原でも、シベリアの針葉樹林でも構わない。私にとって自然のなかで過ごす時間は、そうした自省を与えてくれる存在でもある。

 

自然のなかで過ごす経験

 『ナショナル ジオグラフィック』日本語版の2020年4月号に、「地球を守ろうと闘う若者たち」という記事が掲載された。環境保護に新しい風を吹き込む世界各地の若者たちが紹介されていたが、アジアで活躍する人が少ないことが気になった。たしかにヨーロッパやシベリアでは、都会でも田舎でも環境保護運動にかかわっている若者に出会うことが多く、偶然に知り合った青年が国の政策に影響を与えるほどの大きな運動のリーダーだったこともある。一方、大阪で私が教える学生たちはといえば、環境保護に関連するサークルや市民団体に参加する人は少なくないし、授業やアルバイトで忙しいなかでもそうした活動にかかわる姿には感心させられるのだが、ほとんどはあくまで自分自身の学びを目的にしているようで、本当に社会を変えようという情熱をもって行動しているわけではないようにみえる。中国では「自然之友」という環境保護団体のお手伝いもしているが、その経験に照らしても、アジアでは自己研鑽のための社会活動として環境保護にかかわる若者は少なくないが、身を投げうってまで「地球を守ろうと闘う若者」はめずらしいように思う。

 こうした環境保護に対する姿勢の違いは、どこからくるのだろうか。もちろん、「自然」や「環境」についての捉え方や思想史的な背景、また環境教育の仕組みが異なるという事情もあるだろう。しかし、そうした文化的な要因とは別に、もっと端的に、アジアの若者は自然のなかで過ごす時間が少ないのではないかということを感じる。たとえば、大阪大学のある北摂には箕尾の山があり、市街地のそこかしこには雑木林や貯水池などもある。しかし、そうした身近にある自然を訪れる学生は少ない。それどころか、街中の林や池にはフェンスが張りめぐらされ、地域の住人ですら立ち入れないようになってしまっている。子どもが怪我をしたり溺れたりすると危ないから、人の目の届かない場所は犯罪につながるから、そうした懸念は分かるが、柵を設けて人の行動範囲から遠ざけてしまえば、自然には危険が伴うという本質的なことを知る機会を奪うことにもなる。私は自然のなかに身を置くことのリスクを知っているが、それでも自然に惹かれる。むしろ、自然の怖さを知っているからこそ畏敬の念を覚えるのだし、人間が思いのままに支配することなどできない存在だということが理解できる。

 新たな感染症の出現もそうだろうが、自然は人間社会に対して常にさまざまな脅威をもたらす。とはいえ、自然を私たちの生活から完全に切り離して封じ込めることは不可能だし、仮にそうなれば人間も生きてはいけない。そうであるならば、躍起になってリスクを回避しようとするだけではなく、危険を含めて相手を受け入れ、ともに生きるための哲学を身に着けることも必要だろう。もちろん、人間同士の付き合いでも同じように、危険を承知でかかわっていくためには相手を深く知り、そのうえで上手に関係を築くことが大切になる。それなのに、とくにアジアの都市では、もともと身近にあったはずの自然を囲い込んで生活領域から遠ざけ、生身で草木や虫、魚などの生きものと触れ合うことのできる場所を子どもの目から隠してしまった。そうした生きものの息吹を肌で知らなければ、自然と共生するということにリアリティを感じることができるはずもないだろう。とくに日本では身近に豊かな自然があるのだから、社会と引き離してしまうのはどうにももったいないように思う。

 

地域と地球をつなぐ行動

 もう20年以上前になるが、フィンランドのヘルシンキ大学でトナカイ牧畜の研究者と親しくしたことがあった。自然が大好きで、調査のためだけでなく、バカンスの時期まで家族を連れてトナカイの住む極北の森のなかで過ごすような人だった。ある日、T君という彼の息子とその友達2人がディベートをしているところに居合わせた。ひとりは多文化主義を政治に生かす方法について、別のひとりは軍事力に頼らない安全保障のあり方について、そしてT君は環境保護活動のあるべき姿についてそれぞれ主張していた。フィンランドには美しい森を大切にする伝統があるが、だからといって将来も自然が守られると考えるのは間違いだ。地球規模の気候変動や環境破壊がこれ以上進めば、やがてはその影響を受けてフィンランドの森もなくなっていくに違いないのだから、世界で起こっていることに目を向けなければならない。ローカルな関心とグローバルな視野を結びつける必要を訴えるT君の主張は、私も思わずはっとさせられるほど説得力のあるものだった。

 T君はお父さんが書いた論文を読んで、地球温暖化の影響からトナカイが大量死しているということを知った。そこから、過度な伐採をしない、土壌を汚す工場をつくらない、ごみの排出を減らすといった地域内ないしフィンランド国内で行われている努力だけでは、身近な森の生態系を維持することすらできないと気付いたのだという。そこで、T君は学校で環境保護のためのグループを立ち上げ、ごみ拾いや野生動物保護など目の前の自然を守るための活動を続ける一方で、環境保護にかかわる思想や哲学、グローバルな政治経済と環境破壊の関係など幅広く学びを深める場をつくった。彼はその後、大学を卒業してから24歳で市の議員、38歳で国会議員になり、子どもの頃にバカンスを過ごしたトナカイの森を守るための環境保護活動を続けている。

 身近なところにある自然を守ろうとするだけでも、地球全体のことを考えなければならない時代が来ている。だからこそ、世界で起こっているさまざまな現象を横断して切り取り、把握するために共通の枠組みが必要になる。T君の行動が示すように、ローカルとグローバルをつないで考えるための言葉がなければ、自然保護のための実践的な活動は難しいだろう。ただし、環境問題を考えるために用いられる枠組みや言葉のほとんどが、ヨーロッパで生まれているということは少し気になる。地域にある自然の恵みを受けて生きる智慧は、モンゴルでも雲南でも、そして日本各地の山村でも確かに息づいているのに、そうした智慧を普遍的な理念や概念へと昇華し、共有していこうという動きは弱かったようだ。良きにつけ悪しきにつけ、それぞれの地域にある豊かさを受け継いでいくには、政治や経済を動かす舞台の上でも通用する言葉や論理を用いて、その価値を共有していかなければならない。もちろん、暮らしに埋め込まれた感覚や地域特有の感性に根差した言葉を抽象的な概念へと置き換えるのは難しいし、そうすることで大切な機微の多くはが失われてしまうだろう。しかし、自然を守るという実際的な目標を達成するためには、地域を超えて共有可能で、都会育ちの人にも分かってもらえる言葉がなくてはならない。それならば、やはり借りものの概念で語るのではなく、アジア発の言葉への共感を増やしていきたい。そのための哲学的な営みもまた、自然を守るための行動なのではないだろうか。

 

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