第69回 庭木の散髪

“木”の原風景

 「木があれば、水が流れる。水があれば、草が茂る。草があれば、家畜が肥える」。モンゴルの遊牧民は、調べにのせて子どもにそう教える。ただ幼い頃の私は、はじめのくだりだけ合点がいかず、逆じゃないのかなといつも不思議だった。木といっても川のほとりに細々と立つ灌木を見かけるくらいだったから、「水があれば、木が育つ」といった方が正しいのにと思っていたのだ。川をずっと遡っていけばハンガイ(森)に湧水を見つけ、木々が水源を育むことを理解できたのかもしれないが、子どもが知る世界のなかにそうした場面はなかった。
 故郷のコンシャンダック沙漠では、木はか細く希少な存在だった。丸太になるカラマツやシラカバといった森の木は、結婚など人生の節目にゲルや家具を新調するときだけ木こりや猟師を通じて手に入れるもので、普段の暮らしのなかでは、放牧のついでに柳の枝を集めるくらいのものだった。だから私にとって“木”の原風景は、緑の葉で覆われ威風堂々とした大木ではなくて、貧相な枝にくすんだ色の葉がついた姿で頭に浮かぶ(挿絵参照)。

 

庭木の散髪

 私を育ててくれたおじいちゃんは、柳のよじれた枝をやりくりして手籠や牛糞拾い用のざるなど日用品をつくる手仕事の名人だった。方々からものづくりを頼まれるのでいつも材料集めに奔走していたが、できる限り自然に落ちた枝を拾うだけに留め、やむを得ず切るときにはしばし柳の木全体を眺めて、その生育を害さないよう考えて枝を選んでいた。希少な資源である木材を持続的に得るための工夫といった側面もあったのだろうが、仏さまの教えを尊び、いつも優しいおじいちゃんの人柄を考えれば、植物であってもむやみに傷つけたくないという心持ちが強かったのだろうと思う。

 その姿を見ていたからか、宍粟市に居を構えた当初は庭木の剪定をするのもためらわれ、松や梅、つつじなど何十本と植えられた木が荒れ放題になってしまった。色とりどりの花や葉で埋め尽くされた庭を眺めて、私自身は自然の力を感じられるしこれもいいじゃないかと開き直っていたのだが、ご近所さんや学生から手入れをしてはどうかと遠回しに勧められると、やはり何とかしなければという気になる。ようやく重い腰をあげて枝切ばさみを握ってみたはいいものの、いざ陽を受けて元気に輝く葉っぱを見るとどうも後ろめたくなり、枝先の方をちょっと落とすだけで仕舞い支度をはじめてしまう。毎日庭には出るのだが、切った分より伸びる方が早いのではないか、というくらい作業は遅々として遅々として進まなかった。

 そんなある日、久しぶりに大学に来たついでに、行きつけの理髪店で散髪してもらっていたときのことだった。そうか、庭木の髪の毛を切ってあげると思えばいいじゃないか、というアイデアが降ってきた。モンゴルの柳のような禿げ頭ならば散髪の必要もないが、うちの庭木の髪の毛はふさふさの伸び放題。はさみを入れてあげた方が、木にとっても気持ちがいいに違いない。散髪を終えてすっきりする頃には、それまでの葛藤はすっかり晴れていた。

 

身だしなみを整える

 発想を切り替えてからははさみを操る手も動くようになり、それどころか電動のバリカンまで借りてきて庭木を片端から五分刈り頭にしていったところ、すっきりを通り過ぎてどうも庭全体が物寂しくなってしまった。少しやりすぎたかなと反省し、加減を学ぼうとご近所さんの庭を観察してみると、庭木の切り方だけでなく全体の雰囲気づくりも似通っていることが見えてきた。同じく植物を育てる場所でも、畑の様子は家ごとにさまざまで、野菜だけがきれいに並んでいるところもあれば、野菜どころか畝まで雑草に埋もれかけているところもある。一方で庭はどこも入念に整えられ、畳石や石灯籠、石鉢の形や配置などにも統一感がある。畑は自分好みにしてもよいが、庭はそうではなさそうだ。

 ゲルに住むモンゴルの遊牧民には、そもそも庭という概念がない。ゲルを一歩出れば草原や沙漠、すなわち自然が広がっている。だから家の周囲の空間に手を加えるという発想はないが、ゲルのなかの空間づくりには暗黙のルールがあり、訪れる人にみられても恥ずかしくないよう微に入り細に入り配慮する。それと比べると、日本では家のなかのデザインや使い方はかなり自由だが、その分だけ庭づくりの基準がはっきりしている。とくに地方では、庭とはいわば顔のようなものかもしれない。その地域、時代の流行にあわせて髪の毛や髭を整え、ときに化粧をしてあげなければならない。私自身は、わざわざ木や石に手を入れずとも生のままで十分美しいと感じるが、庭の手入れは人前に出るための身だしなみと考えると、きちんと気を配らなくてはならないなと思える。

 

※次回は9/30(木)更新予定です。

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“木”の原風景(著者作成)

 

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