第72回 山登り

宍粟の山で

 私はお洒落には無頓着だが、衣装棚にはカラフルな服がぎっしり並んでいる。シベリアやモンゴルでのフィールドワークでは、氷点下40度を下回るなか何日も歩き続けることがあるので、軽くて暖かい登山用のウェアを買い集めてしまう癖がついているからだ。普段もアウトドア・ブランドの服や靴を身に着けていることが多いので、学生からはよく「山登りがお好きなんですね」と言われる。でも実のところ、山登りはあまり得意ではない。モンゴルでは山はあくまで見上げて崇敬の念を抱く対象だったから、頂を踏みに行くことにはどうも躊躇してしまうし、そもそも若い頃に経験してこなかったので乗り気になれない。

 ところが、昨年の初夏に宍粟市に移り住んでからは、ぽつぽつと近所の山に登るようになった。十数年来の大親友が登山計画を携えて遊びに来ては、ごねる私を連れまわし、いつのまにか「宍粟50名山」を踏破するメンバーに加えられてしまったのだ。自宅の裏手に立つ長水山(ちょうずいさん585m)、近くを流れる伊沢川の源流部をなす黒尾山(1024m)と、まずは日帰りコースの山歩きから始めているが、山頂で食べるおにぎりは美味しいし、麓に戻ってつかる温泉も格別に気持ちがいい。山道でふと戦国時代の史跡を見つけたり、宍粟から瀬戸内海へと流れる揖保川の流域を一望できる場所に出会ったりと、思いがけない発見もあった。これまで食わず嫌いだったが、いざやってみればけっこう楽しいじゃないかと思い始めている。

 

「限界」に触れる

 50代も半ばにさしかかって始めた山登りは、私にとって久しぶりに「限界」に挑戦するきっかけになるかもしれない。この連載で綴ってきたように、草原から街へ、さらに“文明”の中心へと進んできた私の前半生では、言葉や作法など周りの人が当たり前にできることに合わせていくだけでも、脳みそを精一杯まで振り絞らなければならなかった。またシベリアでトナカイ遊牧民たちとともに過ごすなかでは、自然や動物の脅威と対峙したとき、その瞬間を生きぬくために持てる力を出し切らねばならない場面に遭遇した。知力なり体力なりを総動員してそうした「限界」を一度切り抜けてみると、次は少しだけ余裕が持てるし、たとえ失敗したとしても、死にさえしなければ何がしか得るものはある。だから、とくに若い学生たちには、それがどんな些細なことであってもいいから「限界」に挑んでほしい。あくまで個人的な経験にもとづく考えだから授業中は口にしないが、お酒の席に出てきてくれる学生には、“限界論”だと嘯いて折に触れ伝えてきたことだ。

 しかし、いつの頃からか私自身、すくなくとも肉体的な「限界」からは遠ざかっていたような気がする。大阪で大学での仕事に打ち込んでいた間はもとより、宍粟に来てからも、慣れない畑仕事やゲルを建てる作業に精を出し過ぎてしんどいことは多々あったが、どこかで次の日の予定を考える余裕は残していた。ところが、山登りに連れまわされてみると、勝手がわからず歩みを早めて足を痛めたり、寝不足の身体を押して出発してすぐに後悔したりと、身体がついていかずに辛い思いをする瞬間に出くわす。雪と氷に覆われたシベリアのタイガではなく、1000m前後の穏やかな山々が連なる宍粟の自然こそが、いまの私にとってちょうどいい「限界」を経験できる場所なのだろう。

 ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーは、南ドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森)の山小屋で晩年を過ごした。彼は「なぜわれらは地方に留まるのか?」と題したラジオ講演で、小屋が風雪に覆われるとき、哲学の真髄がそこに降り注ぐのだと語っている。それが高い山や極寒の地ではなくとも、自然のなかに身を置いてそれぞれに見合った「限界」に触れるとき、人は自身の内に眠る力を感じ、引き出す糸口を見出すのではないだろうか。

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「限界」のなかでとぼとぼ歩く(著者友人撮影)

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宍粟の山並み(著者撮影)

 

※次回は1/27(木)更新予定です。

 

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