第70回 「遊牧民の野菜づくり」

 

 モンゴルでは草と野菜はどちらも「ノゴン」と言い、言葉の上では区別がない。草原に自生するニラやネギを肉料理やスープの香りづけにしたり、カブの仲間を漬物にして食べることはあったが、野菜が主役になる料理はなかった。金沢の中華料理店でコックをするようになって野菜の扱い方は身につけたが、やはり「ノゴン」は家畜が食べるものだという感覚がどこかにあって、その後も自分から手を出すことはあまりなかった。しかし今では、毎食しっかり野菜を食べる生活を送っている。野菜のおいしさにようやく気付けたのは、宍粟市で畑仕事をはじめたおかげだ。


野菜は面白い

 宍粟市で住まい探しをしていた昨年の春、何くれとなく世話をしてくれていた地元商工会会長の長田博さんが、ご自宅の畑を案内してくれたことがあった。もぎたての野菜はおいしかったが、「私も素人で分からないことばかりですけど、野菜は面白いですよ」という言葉には、そうですねと頷いてはみたもののさほど興味は湧かなかった。引っ越しを終えてからも、すぐにお隣の久保さんが耕運機で畑に畝をつけてくれたが、家の掃除やら本の整理に追われて、しばらくは放ったらかしにしてしまっていた。新居祝いにやってきた学生たちは、口をそろえて畑があるなんて羨ましい、晴耕雨読の生活ができますねと言ってくれるが、私自身は野菜を育てることに実感が湧かず、正直なところどうしたらいいのか戸惑っていた。

 とはいえ、せっかくお隣さんがきれいに整えてくれた畝を遊ばせたままにするのは失礼だろうし、学生たちの期待にも応えなければならない。なかば仕方なく、野菜づくりそのものとは縁遠い不純な動機からはじめた畑仕事だったが、いざやってみるとハッとさせられるときめきが随所にあった。ホームセンターで半額になっている種を買い、説明書きも斜めに読み飛ばして適当に撒いただけのチンゲンサイが、知らぬ間に芽吹いて新緑色のじゅうたんをつくっている。何を植えたか忘れてしまった畝から顔を出した芽が、ほどなく四方に枝を伸ばし始め、あぁトマトだったかと気づかされる。

 畑のことなど右も左も分からない遊牧民を親に持った不遇の野菜たちでも、けなげなほど懸命に育とうとしている。はじめのうちはその姿をただ眺めるだけだったが、葉の形や背の高さなど種類ごとの輪郭がはっきりしてくる頃には、ここまできたら野菜と呼べるところまで立派に育てたいという気になっていた。「ノゴン」は馬や羊とは違って手をかけて育てるものではないと思っていたが、この畑の野菜は少し違うようだ。ラクダのキャラバンのように列をつくって畝の上に鎮座する姿は、世話をしてくれるのをじっと待っているかのようだ。水やりと草むしりくらいしか私にできることはなかったが、できるだけ畑に足を運んで面倒をみてやらないといけないという心持ちが、自然に湧いてくるのだった。

 

畑仕事の“収穫”

 「遊牧民農園」と名付けた畑の野菜たちは、まるで予想していなかったほど豊かな実りをもたらしてくれた。チンゲンサイや空心菜、トマト、オクラは秋も深まる頃まで食卓をにぎわせてくれたし、ダイコンや白菜は半年分の漬物になってくれた。イチゴやスイカも、たくさんではないけれどきちんと実をつけてくれた。

 もちろん、私ひとりの手ではうまくはいかなかっただろう。大学院で農学を専攻していた高成くんは、東京と往復しながら半ば住み込みで畑仕事の基礎から教えてくれた。丹波篠山で黒豆づくりに携わっていた置塩さんという学生も、原付バイクで何時間もかけて通ってくれた。畑仕事ははじめてという学生も、インターネットを駆使して色々なアイデアを出してくれる。はじめは殺風景だった畑も、彼らが駆けつけてくれるたびに支柱が立ったり、アーチ型のビニール囲いができたりと進化を遂げ、だんだんと“農園”らしくなっていった。鳥に食べられるのは仕方がないと諦めていたトマトやイチゴも、ネットやビニールシートを張って守ることができた。

 さらに心強いのは、ご近所さんが現場で手ほどきをしてくれることだった。普段は挨拶するくらいで往来のない人でも、畑で作業しているときに行き会うと声をかけてくれ、世間話も交えながら野菜づくりのコツを教えてくれる。モンゴルではゲルの近くを通りがかっただけでもお茶を飲みにやってくるほど来客が多く、それに比べると日本ではご近所さん同士のコミュニケーションが少ないなと感じていたが、畑があるとそこが社交の場になるのだと合点がいった。宍粟に来てからは、野菜のおすそ分けもしょっちゅういただく。ご近所さんにお中元やお歳暮を贈るのは却って気が引けるが、育てた野菜のおすそ分けであれば肩肘張らずにやりとりできる。そうしたつながりの存在に気づけたことも、畑仕事をはじめたからこその“収穫”だ。

 

 これまで日本の農村を歩いていて、田んぼが広がる風景に心打たれることはあったが、ビニールハウスや電気柵が目立つ畑はあまり美しいとは思えず、目を向けることもなかった。いまではむしろ、畑を見つけると何が植わっているのかな、どんな工夫をしているのかなとつぶさに観察する癖がついている。たとえ不格好でも、手塩にかけて育てた野菜はおいしい。それと同じように、派手な色のネットやシートでモザイク状になった畑は、確かに遠目にはきれいとは言えないが、野菜を育てるための工夫を凝らしている証だと考えれば、見る目も変わってくる。畑仕事はまだまだ素人だが、「野菜は面白いですよ」という言葉の意味は少し分かってきたように思う。

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今日も畑仕事(著者作成)

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遊牧民農園

※次回は10/28(木)更新予定です。

 

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