第67回 「文盲から文明へ、その向こうへ②」

 前回連載で最終回予告をしたのは、去年の夏の盛りが過ぎた頃だった。それから1年近く、未完のまま更新を滞らせてしまったことになる。まずは読者のみなさんに、音沙汰なしに長らく連載を放置してしまったことをお詫び申し上げる。

 文盲から文明へと歩む旅路の果てに見えてきた「その向こう」、それを言葉にして連載を終えたい。この想いに囚われるまま、筆をおく決心ができずに時を過ごしてしまった。より正確には、締めくくりにふさわしい言葉を探すうち、いま私がおぼろげながら思い描いている「その向こう」を言葉で捉え、語ることそのものに迷いが生じてしまった。この連載の初回で書いたように、私はいまも故郷の草原の色や匂いを忘れてはいないが、少年の頃の自分が駆け回っていた世界がどのようなものだったのかを言葉にすることはできそうにない。どうやらそれと同じように、いま私が向き合おうとしているのは、語ろうとした途端にかたちを失い、霧のように消えてしまう類のもののようだ。

 文字を知り、本との出会いを経て足を踏み入れた世界は、文盲だった少年が知るべくもないたくさんの意味に満ちていた。しかしその先を考える糸口は、言葉を重ねて紡がれる意味とは少し距離を置いて、日々を生きるなかにこそあるように思う。いまようやく垣間見えてきた「その向こう」をみなさんと共有するため、もう少しだけこの連載を続けさせていただき、私なりの考えを「生きること」に即してじっくり書いていきたい。

 

生きる意味から生きることへ

 1990年代半ばに日本に来て文化人類学と出会ったとき、立派な先生たちが遊牧民の暮らしに興味を持っていることに驚き、嬉しく思えた。それまで自分でも遅れたとか野蛮な、といったまくら言葉がついて当然だと思い込んでいた遊牧民の生き方に、誇りを持てる意味を与えられた気がしたからだった。この学問の門を叩き、研究者になってからも、生態学や象徴論などさまざまな視点を駆使して伝統的な暮らしや世界観に価値を見出していく手法に惹かれた。やがて自然や文化の多様性を守ろうという考えが世間でも大きな潮流になるにつれて、論文だけでなく講義や一般向けのエッセイでも、当たり前のように自然との共生や持続可能な資源利用といった言葉を使うようになっていった。

 たとえば、モンゴルや雲南に学生を連れていくときには、人の手に頼って家畜や作物を育てるのは効率が悪く不便なだけのように見えるかもしれないが、自然に備わる復元力をうまく利用した持続可能な暮らし方でもあるのだから、そこから学ぶべきことはあるよという示唆を与えてきた。もちろんそうした視点は大切だし、学生に身につけてもらいたいものだ。しかし、そうした言葉を語るときにはいつも、少しだけ虚ろな違和感を覚えていた。一見すると無意味なように見えることにも、視点を変えれば意味が見出せる。そんなロジックを披歴して学生たちの関心を引く度に、どこか絵空事を語っているような気がしてならなかった。

 その違和感の正体にようやく気づき始めたのは、ほんの最近のことだ。前回紹介したように、私は1年前ほどに兵庫県宍粟市の山麓にある集落に移り住み、教育と地域をつなぐ活動に軸足を置く生活を始めた。デスクワーク半分、野良仕事半分の生活を送るようになってからもしばらくは、日ごと、週ごとのスケジュールを立ててせわしなく働き続けた。自由になる時間が多くなったからこそ、自分が怠け者ではないことを確かめるかのように、矢継ぎ早に物事を進めようと躍起になった。しかし当然ながら、そうやって私ひとりがじたばたしても雨は降り止んでくれないし、感染症の流行も止まらない。思い通りに事が運ばず無為に時間を過ごすことが不安で仕方なかったが、次第に諦めがつくようになり、数か月も経つ頃には散歩をしたり昼寝をしたりと、ようやくぽっかり空いた時間を楽しめるようになってきた。そうなってみると、いつの間にか染みついていた癖が抜けたようで、身も心も軽くなったような気がする。意味のあることだけに関心をもち、時間を割く。やるべきこと、やってきたことの意味にこだわり、それを説明する言葉に納得できてはじめて満足できる。そうした癖は、私だけでなく世の中を覆いつくす現代病になっているのではないだろうか。

 この1年のリハビリ期間を経て、故郷の草原を出て“文明”への道を歩み始めてからずっと抱えてきた不安はずいぶん和らいだ。ここから見える「その向こう」に希望が待っているかどうか、読者のみなさまにはどうかもう少しお付き合いいただきたい。

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春の野良仕事

※次回は7/29(木)更新予定です。

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