第61回 「地域に学び、地域とかかわる④」

▼前回までの記事はこちらです 野蛮だと眉を顰めて指さされることもあれば、自由奔放で素晴らしいと羨望の目を向けられることもある。そういう意味では、「不良」と少数民族は同じような立場に置かれているのかもしれない。この連載の前半で書いたように、草…

第60回 「地域に学び、地域とかかわる③」

▼前回までの記事はこちらです 「実践」が育む力 この連載の前半で紹介したように、私が少年から青年になる頃の中国は大きな変革期にあり、社会の秩序や人々の生活も安定してはいなかった。11歳で学校に通うため草原をあとにしたが、街に出たころは勉強よりも…

第59回 「地域に学び、地域とかかわる②」

▼前回の記事はこちらです 雲南との出会い 雲南を初めて訪れたのは2005年の晩秋、WWF(世界自然保護基金)の支援を受けて中国最大の環境保護NGOである「自然之友」が雲南北部の高原で始めた活動に、ボランティアとして参加したことがきっかけだった。寒さと乾…

第58回 「地域に学び、地域とかかわる①」

モンゴルでのフィールドスタディを実施しはじめてはや10年が経とうとしているが、私でかつて悩んだように、そして今でも悩むことがあるように、「地域に学ぶ」姿勢を学生に伝えるのは容易なことではない。私たちは異郷に足を踏み入れるとき、どうやっても色…

第57回 「オンギー川で出会った人びと③―天の声に耳を傾けて」

▼前回までの記事はこちらです 天の動物 2011年の夏、私は大阪大学グローバルコラボレーションセンター(当時)の宮本和久先生とともにオンギー川流域にやってきた。同センターでは新たにフィールドスタディ・プログラムを始めることになっており、そのための…

第56回 「オンギー川で出会った人びと②―モンゴルの環境(みらい)に向けて」

▼前回の記事はこちらです 研究者としてニンジャとかかわる 現代を生きるために必要な金を得るため、敬うべき自然を自らの手で汚すことに苦しみつつニンジャとなる人たち。彼らとの出会いは、私が思いもしなかったモンゴルの実像を知らせるものだったが、同時…

第55回 「オンギー川で出会った人びと①――ラマと“ニンジャ”の祈り」

開発と伝統 2006年の冬、金沢に住む知人から紹介され、神戸外国語大学で学ぶモンゴル国からの留学生と知り合った。バヤサさんというその女性は、モンゴルでもとりわけ遊牧が盛んなウブルハンガイ県の出身で、ラマ(チベット仏教僧)のおじいさんに育てられた…

第54回 水俣と出会い、自分が変わる

水俣との出会い クラスノヤルスクでの留学を終えてすぐ、2007年1月から大阪大学工学研究科サステイナビリティ・サイエンス研究機構(現在のサステイナビリティ・デザイン・センター)の特任研究員として働くことになった。「サステイナビリティと人間の安全…

第53回 「バイカル湖」

冬のバイカル湖 2006年12月、クラスノヤルスク大学での留学生活を切り上げて急遽日本へ帰国することになった。縁あって大阪大学で職を得たからだった。2年前に不安を抱えながら降り立った駅のホームから列車に乗り込み、クラスノヤルスクをあとにする。車窓…

第52回 「シベリアへ④」

▼前回までの記事はこちらです コトゥイ川流域でトナカイを飼うエヴェンキ人とともに過ごした10日間は、まさに夢のような時間だった。中国語の夏季集中講義を引き受けていたため一旦は後ろ髪を引かれる思いでクラスノヤルスクに戻らねばならなかったが、夏休…

第51回 「シベリアへ③」

▼前回までの記事はこちらです ロシア語の先生たち 連載第49回でも触れたが、クラスノヤルスク大学では留学生としてロシア語を学ぶ傍ら、日本語と中国語の授業で教壇に立つ仕事も引き受けることになった。はじめは勉強時間が削られるし煩わしいなと思っていた…

第50回 コラム⑤「“北の自然”に魅せられて」

シベリアとアラスカ シベリアといえばどこか暗く、灰色がかったイメージが思い浮かぶのではないだろうか。確かに、ソ連時代には社会主義体制に反対した知識人が送られる流刑地であり、太平洋戦争後には捕虜となった多くの日本人が抑留された土地でもあった。…

第49回 「シベリアへ②」

▼前回の記事はこちらです ロシア語の壁 シベリア鉄道の旅を終え、いよいよクラスノヤルスク大学での留学生活が始まった。住まいは学生寮ではなく、ホームステイを希望した。これまで中国語や日本語を学んできた経験から、新しい言葉を学ぶには、現地の人と接…

第48回 「シベリアへ①」

ひと山越えて 博士課程に進学してからは、大興安嶺での調査を続けつつ、トナカイ放牧を営むエヴェンキ人が経験した社会変化をテーマとしてひたすら研究に打ち込んだ。博士論文を書きあげる目途がついてからは、中華料理店でのアルバイトも辞めてさらに執筆に…

第47回 「バラジェイさん一家③」

バラジェイさん 中華人民共和国によって大興安嶺一帯が「解放」されたのち、1950年代にはエヴェンキ人が暮らす村にも小学校が建設されはじめた。バラジェイさんは、トナカイ放牧を営む人たちのなかではもっとも初期に学校に通い始めた子どもたちの1人だった…

第46回 「バラジェイさん一家②」

▼前回の記事はこちらです 長男ウェジャ 中国の他の辺境地域と同じく、その頃の大興安嶺では野生動物が急速に姿を消しつつあった。1998年に禁猟政策が施行されたこともあり、実際にハンターたちの狩猟を観察する機会にはなかなか恵まれなかった。それでも私は…

第45回 「バラジェイさん一家①」

長女リューバ 修士時代に調査を行っていた大興安嶺のオルグヤ村では、もっぱらバラジェイさん一家にお世話になっていた(本連載第39回参照)。修士論文では大興安嶺に暮らすエヴェンキ人たちの近代化の過程に焦点を当てたのだが、バラジェイさんたち自身は文…

第44回 「目指すべき研究者像」

目指すべき研究者像 金沢大学人類学研究室では、鹿野先生をはじめとして鏡味先生、中林先生など研究にも教育にも熱心な教員が教鞭をとっておられたが、私が関心を寄せていた北方アジアを専門に研究されていた先生はいらっしゃらなかった。このため、文献収集…

第43回 「森と草原を書く」  

夢と現実 大興安嶺での調査から帰国し、半月ほどが経った頃だったと思う。ある夜、祖父の夢を見た。祖父と私はモットオブルジェー(森にある冬のキャンプ地)にいた。初夏を思わせる日差しと風のもと、祖父はアルグ(牛糞を拾うための道具)をつくるための素…

第42回 「論文を書くこと、自分と闘うこと②」

エヴェンキ人とは誰か、民族とは何なのか なんとか2年間で修士課程を卒業し、1998年の春からは博士課程に進学することになった。進学先に迷うことはなく、文化人類学と出会うきっかけを与えてくれた金沢大学文化人類学研究室を志望した。 修士論文をまとめ…

第41回 「論文を書くこと、自分と闘うこと①」

大学院に進学してからは、休暇のたびに内モンゴル自治区ホロンバイル盟に通っては、中国語とモンゴル語で書かれたものを中心にさまざまな現地資料の収集を進めていった。エヴェンキ人やオロチョン人の民族誌や歴史文献、統計資料、そして調査中に書き溜めた…

第40回 コラム④「学問と思想」

大学院に進学してからというもの、日本語の力は目に見えて成長していった。アルバイトをクビにならないよう必死で会話力を身につけたときと同様、ハイペースで専門書を読みこなさねばならない授業についていこうと頑張るうちに読解力が磨かれたのだ。生来が…

第39回 「初めてのフィールド調査②」

トナカイとの出会い ウラルトさんと再会する機会は、初めてのフィールド調査で知り合ってからおよそ2年後の1997年7月中旬にやってきた。大興安嶺とオルグヤ村での本格的な調査を試みるべくホロンバイルを再訪した私に、ウラルトさんが同行を申し出てくれた…

第38回 「初めてのフィールド調査①」

フィールドワークの難しさ 1996年の夏8月から9月にかけて、かつて今西錦司たち人類学の大先達が旅した大興安嶺を訪れることになった。夏休みに入ってからもアルバイトに励んでお金もなんとか工面でき、いよいよ初めてのフィールドワークを待つばかりとなっ…

第37回 「フィールド調査の準備」

資料を集める 今西錦司『大興安嶺探検』を読んでからというもの、フィールド(調査地)への憧れは日に日に高まっていった。英語の読解力や理論的な知識が足らず、人類学的なフィールドワークの訓練も十分に受けていないことは自覚していたものの、とにかく自…

第36回 「民族誌を読む」

恵まれた研究環境 1996年、金沢大学文化人類学研究室修士課程には私を含め6人の学生が入学した。ひと学年上の金子さんと泳さん、博士課程の先輩方のほか学部生のうち何人かもよく研究室に来ており、研究室はいつも賑やかだった。集中してワープロとにらめっ…

第35回 「異文化研究の入口に立つ」

合格はしたけれど 1996年2月、金沢大学より文化人類学専攻修士課程試験の合格通知が届いた。約半年間集中して勉強した努力が実ってひとまずはほっとしたが、これから何を研究するのか決めないまま進学を決めてしまったことに不安も抱えていた。実は面接試験…

第34回 「文化人類学との出会い④」

人類学の理論とマルクス主義 夏休みに調査実習での数日間をともに過ごし、私自身は寄稿できなかったものの、報告書作成のための打ち合わせにも欠かさず出席したことで、文化人類学教室の先生方や学生たちとの距離は以前に比べずいぶん近づいたという実感があ…

第33回 「文化人類学との出会い③」

文化人類学教室に足繁く通い、書庫の本を乱読するようになって数か月が経っても、この学問を修めるために進学すべきかどうか、私はまだ迷い続けていた。そんな私に配慮してくださったのか、研究室の先生方から、夏休みに大学院と学部が合同で実施する調査実…

第32回 「文化人類学との出会い②」

文化人類学研究室 来日して2年が経った頃、内モンゴルの文化を研究していた大学院生松本康子さんとの出会いをきっかけに、文化人類学という学問を知った。松本さんはちょうど進学か就職か悩んでいた私の話を聞いて、自身の指導教官である鹿野勝彦先生を紹介…

Copyright © 2018 KOUBUNDOU Publishers Inc.All Rights Reserved.