第46回 「バラジェイさん一家②」

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長男ウェジャ

 中国の他の辺境地域と同じく、その頃の大興安嶺では野生動物が急速に姿を消しつつあった。1998年に禁猟政策が施行されたこともあり、実際にハンターたちの狩猟を観察する機会にはなかなか恵まれなかった。それでも私は、調査期間を通じて年配の男性に狩猟の経験を聞いてまわり、女性にはトナカイ飼育の方法を尋ねることにかなりの時間を割いていた。トナカイとのかかわりのなかで培われた自然観こそが、エヴェンキ人の文化の中心にあるに違いない。どこかでそう思い込んでいたのか、若者の生活にはあまり関心が向かなかった。

 バラジェイさんの息子のウェジャは、1997年から1999年にかけて計4回にわたって実施した調査のすべてに同行し、何かにつけ面倒を見てくれた。当時の私にとって、ウェジャは単なる調査協力者、あるいはインフォーマント(情報提供者)ではなく、自分とは全く別の立場にいて刺激を与えてくれる友人のような存在だった。博士課程に入ってからはオルグヤ村のなかでも遠隔地にあるキャンプ地を1人で訪れることも多くなっていったが、行く先々で知り合いを紹介してくれるなど、ウェジャはやはり私の身を案じてくれていた。

 2002年、オルグヤ村の住人は根河市の市街から7、8キロの距離につくられた居住地に移住させられることになった。社会主義の時代を生きるようになってから3度目の政策移住であり、その度にエヴェンキ人は街へと近づき、主流社会へと取り込まれていくのだった。この移住プロジェクトはマスメディアでも大きくとりあげられ、私も意見討論会に招かれたことがある。エヴェンキ人のなかでも政府の職員や若者はおおむねこのプロジェクトに賛同していたが、やはり牧畜を営んできた人たちや年寄りには移転を嫌がっているものも多いようだった。

 新しく郊外に建てられたオルグヤ村では、根河市政府の全面的なバックアップを受けて観光化が進められた。観光地となったオルグヤ村では、狩猟やトナカイ放牧を知る年寄りではなく、むしろ街の生活に慣れ、流暢に中国語を操る若者の言葉によって「エヴェンキ族の文化」がつくられているようだった。余暇を過ごすためにやってくる旅行者からすれば、オルグヤ村に住むエヴェンキ人の語りはすべて「エヴェンキ族の文化」を体現するものになるのだ。

 2004年の秋に数年ぶりに再会したウェジャは、そこで「エヴェンキ族の文化」を話して聞かせる語り部となっていた。しかし、新たな環境のなかで与えられたその役割を果たしながらも、どこか虚しさを感じていたのかもしれない。以前にもまして酒量が増え、酔えば感情を抑えることができなくなっていたのだった。それでも、姉のリューバさんに劣らず芸術的才能に恵まれたウェジャは、溢れる感情を詩歌と絵画にぶつけてなんとか飼いならしているようだった。絵に現実への批判を込めたリューバさんとは違って、ウェジャは森やトナカイとともにあったエヴェンキ人の暮らしを賛美する絵を好んで描いた。ウェジャにとって芸術とは、絵を見る人の視点を意識し、「エヴェンキ族の文化」を理想化して伝えるための手段だったのかもしれない。

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ウェジャさんの絵 (筆者撮影 オルグヤエヴェンキ族博物館蔵)

私は母におんぶされ、オルグヤ川を渡っていた

トナカイに揺られ、キャンプ地へと

キャンプ地で3つのテントが屹立している

どれもエジプトのピラミッドのようだ

テントの中におじいちゃんとおばあちゃんが座り

順番に私を抱きあげ、空高く上げては笑っていた

 

記憶はまだある

ある夜、なにかの儀式が行われていた

皆が太陽の方向に拝礼する

おばあちゃんの太鼓のリズムに合わせて

エヴェンキ人は環になって踊る

樹木は焚き火に照らされ、琥珀色に輝く

木のてっぺんから、星々がエヴェンキ人を見下ろしていた

(ウェジャが2006年に詠んだ詩。『奥鲁古雅风』2013年第1期に掲載)

 その後、ウェジャはインターネットを使って結婚相手を募集し、芸術の才能に憧れて応募してきた英語教師の女性と結ばれた。2人は中国南方の海南島で新婚生活を始めるが、ウェジャは1年足らずで大興安嶺に戻ってきてしまった。ウェジャは、ドキュメンタリー映画『ハンダハン(原題は犴达罕、エヴェンキ語でヘラジカの意)』(顧桃監督、2013年)に森と狩猟から引きはがされたことでプライドとアイデンティティを失い、酒に溺れてしまった人物としても登場する*1。哀しいことだが、現在のウェジャは詩を書くペンをとることも、絵を描く筆を握ることもなくなってしまった。

 ウェジャよりさらに若い世代のエヴェンキ人たちは、トナカイの息遣いも、エヴェンキ語の響きも知らずに、郊外の集合住宅で育つ。少数民族優遇政策の恩恵を得るため、さまざまな出自をもつ子供が「エヴェンキ族」の身分証を持つようにもなっている。彼らは、ウェジャの苦悩をどのように考えるのだろうか。

 

*次回更新は7/4(木)予定です。以降、隔週の更新となります。

*1:顧桃監督は、その後バラジェイさんの孫のユィグォを主人公として『雨果(ユィグォ)の休暇(雨果的假期)』という映画を撮っている。この作品は山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川紳介賞を受賞した。

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