第47回 「バラジェイさん一家③」

バラジェイさん

 中華人民共和国によって大興安嶺一帯が「解放」されたのち、1950年代にはエヴェンキ人が暮らす村にも小学校が建設されはじめた。バラジェイさんは、トナカイ放牧を営む人たちのなかではもっとも初期に学校に通い始めた子どもたちの1人だった。学校を出ると看護師として働き、やがて同じくエヴェンキ人で民族幹部(少数民族出身の地方官僚)を勤める男性と結婚して4人の子どもにも恵まれた。しかし、文化大革命がはじまると政治運動に巻き込まれて夫を亡くし、さらにその影響でトナカイ放牧を営むたくさんのエヴェンキ人とともにオルグヤ村のある山深い地域へと移住を余儀なくされてしまう。

 文化大革命の時期、トナカイ放牧は政府が組織した人民公社の計画に沿って行われるようになり、それまでエヴェンキ人が営んでいた放牧のやり方や、地縁と血縁をもとにしたつながりは解体されてしまった。バラジェイさんの両親はそれでも放牧や狩猟を請け負って森のなかでの生活を続けたが、バラジェイさんは子どもたちを学校に通わせるために村での生活を選んだ。

 しかし、文化大革命が終了してトナカイがエヴェンキ人の手に返還されることになったとき、バラジェイさんは再び森に戻って両親とともにトナカイ放牧者になることを決める。子育てを終えるまでは耐えるほかなかったが、トナカイがそばにいない暮らしはバラジェイさんにとって寂しさを募らせるものだったのだという。

 このとき、バラジェイさん一家には27頭のトナカイが与えられた。目印にするため1頭ずつ首にリボンを巻いていったが、リボンが足らなくなって最後の1頭は息子のウェジャさんが履き古したデニムパンツから布地を切り取ってつけた。ジーンズと名付けたその雌トナカイはよく働き、7頭の元気な子どもも産んでくれたという。バラジェイさん一家はジーンズを大切にし、漢方薬の材料として高く売れる袋角を切ることもしなかった。エヴェンキ人はトナカイを家畜として飼うが、一方では敬愛し、畏怖すべき存在としてかかわってもいる。この連載の第45回で紹介した『神の鹿、われわれの神の鹿(原題:神鹿呀!我们的神鹿)』(孫曽田監督、CCTV1997年放送)に登場する白いトナカイも神の使者とされ、角切はもちろん荷駄を載せることもせず、寿命を迎えると葬儀まで行ったという。

f:id:koubundou:20190704091503j:plain

バラジェイさんの孫ソヤンちゃんとトナカイのジーンズ (筆者作成)

 バラジェイさん一家は順調にトナカイの数を増やしていったが、100頭を超えることはなかったという。密猟が横行していたほか、材木会社が獣害を防ぐために仕掛けた罠にかかったり車道を往来する車にはねられてしまうトナカイが後を絶たなかったからだった。もしそうした人災が及ばない森で放牧できたなら300頭のトナカイを飼うことだってできたのに、あるときバラジェイさんはそう呟いたことがあった。その数日後、ウェジャと罠を外すため森を歩いているとき、私は罠に後ろ脚をとられて死んでいるトナカイを見つけた。私たちはトナカイをその場に埋葬したが、テントに戻ってからもバラジェイさんに伝えることはできなかった。

 

運命を生きる

 少し時計を早回しすることになる。2015年、大阪で暮らす私のもとに、バラジェイさんとの共通の知人から連絡があった。バラジェイさんが自伝を書いたので、出版に協力してほしいという内容だった。ちょうど近々シベリア調査を予定していたので、その帰りに大興安嶺に立ち寄ることにした。挨拶もそこそこに、私はバラジェイさんから手書きのものとタイプおこしした原稿を手渡された。人生を振り返りながら何年もかけて書きあげた小説だという。筆を執った理由が気になって尋ねてみると、数年前に読んだ1冊の本がきっかけになっているのだという。中国では非常に権威ある文学賞の1つを受賞した『オルグナ河のほとり(原題:額爾古納河左岸)』(遅子建著、北京出版社、2005年)という小説で、街で学校に通う孫が里帰りのお土産にとプレゼントしてくれたのだそうだ。ところがバラジェイさんはこの本を読んで、トナカイ放牧を通じて培われたエヴェンキ人の心がきちんと描かれていないと感じた。そこで、自らの経験をもとにできるだけ嘘のない本を書こうと思ったのだという。

 出版に向けて私が果たせた役割は大きくなかったが、たくさんの人の協力を得ることができ、バラジェイさんが書いた『トナカイの角のリボン(原題:驯鹿角上的彩帯)』(作家出版社)は翌2016年に無事出版された。小説の体裁はとっているものの、バラジェイさんの人生が描かれた自伝としても、あるいは20世紀を生きたエヴェンキ人の民族誌的記録としても読むことのできる素晴らしい作品になった。エヴェンキ語でしか表現のできない言葉は無理に中国語に翻訳せず、あえて200以上もの語彙を音のみをあてた漢字のまま残した文章も、新鮮な印象をもたらしているように思う。  

f:id:koubundou:20190704091053j:plain

『トナカイの角のリボン』の表紙

 『トナカイの角のリボン』の出版は、バラジェイさんの最後の大きな仕事になった。この本が上梓されてしばらくして、バラジェイさんは75歳でこの世を去った。地元の政府が発表した訃報記事には、「トナカイ飼育者」と「非物質文化遺産の継承者」という2つの肩書が添えられていた。バラジェイさんの人生のすべてを言い表すものではないにせよ、運命に逆らわず、しかしエヴェンキ人女性としての誇りを捨てずに生きたことを物語っているような気がした。

 最後に会ったとき、バラジェイさんは私にこう言った。「私たちはトナカイと長く一緒に暮らしてきたし、ほかの人たちはずっとトナカイ・エヴェンキと呼ばれてきた。いつかトナカイがいなくなったとしたら、そのとき私たちは自分の存在を証明できないのではないか」。時代のうねりに翻弄されながらも子どもを育て、トナカイを育てたバラジェイさんの人生は、どんなに詳細な民族誌よりもさらに深く、エヴェンキ人とその文化を教えてくれる。

Copyright © 2018 KOUBUNDOU Publishers Inc.All Rights Reserved.