第45回 「バラジェイさん一家①」

長女リューバ

 修士時代に調査を行っていた大興安嶺のオルグヤ村では、もっぱらバラジェイさん一家にお世話になっていた(本連載第39回参照)。修士論文では大興安嶺に暮らすエヴェンキ人たちの近代化の過程に焦点を当てたのだが、バラジェイさんたち自身は文化大革命時代のことをあまり語りたがらず、社会主義の時代を経験にもとづいて描くことは叶わなかった。

 1998年の夏、ウラルトさんの家で『神の鹿、われわれの神の鹿(神鹿呀!我们的神鹿)』(孫曽田監督、CCTV1997年放送)というドキュメンタリー番組を見た。驚いたことに、オルグヤ村での調査でお世話になっていたバラジェイさん一家を取材してつくられた番組で、とくにバラジェイさんの長女であるリューバさんが主人公として描かれていた。

 リューバさんは大興安嶺のキャンプ地で育ったが、文化大革命が終わると絵を描く才能が認められ、1981年に北京の中央民族学院(現在の中央民族大学)の美術学部に入学した。トナカイ放牧を営むエヴェンキ人のなかでは、はじめての大学進学者だった。しばらくは大学内の人間関係や都会での生活スタイルにはなかなか慣れず、お酒に溺れたこともあったが、幸いにも絵の才能を惜しんだ担任の先生や同級生の助けを得て、なんとか4年間で大学を卒業することができたという。大学卒業後は内モンゴルに戻ることを希望してフフホトの出版社で編集者として働き始めるが、やはり街での暮らしに馴染むことができず、再びお酒に逃げるようになってしまう。

 しかし、幸運なことにそこでもリューバさんの気持ちを理解してくれるモンゴル人の上司が現れる。与えられた仕事をこなせるならば、大興安嶺に戻って暮らしてもかまわないと言ってくれたのだった。リューバさんはおよそ10年ぶりの帰郷を喜ぶが、久々に戻ったオルグヤ村はかつて知っていた場所ではなく、村の景色も、人々の意識も、話す言葉すら一変していた。リューバさん自身もまた、長い都会での暮らしを経てトナカイを放牧する術を忘れ、森を自由に歩くことはできなくなっていた。故郷にすら居場所がないことに気づいたリューバさんは、アルコールと芸術のほか自分を慰めてくれる存在を見出せなくなっていった。

 リューバさんはオルグヤ村に戻ってから、ヘラジカやトナカイの毛皮をキャンバスに用い、毛皮の模様を生かした「獣皮絵」という独創的な手法を編み出した*1。美術界でも評価されるようになり、国内外のコンクールでも受賞を重ねていった。

 リューバさんは、2002年に42歳の若さで亡くなる。私はその数年前にオルグヤ村で何度かインタビューをさせていただいたが、彼女は自分のことを風のなかで揺れる葦のような存在だと語っていた。都会にいれば野蛮な原始人のように言われ、故郷の村に戻ればひ弱な身体の都会人として扱われてきたのだという。リューバさんにとっては、芸術家としての成功を収めたことへの自信よりも、時計の振り子のように生きてきた過去への迷いの方が大きかったのかもしれない。

 

母ニューラ

 バラジェイさんのお母さんは、トナカイ放牧を営むエヴェンキ人のなかでも最後のシャーマンと呼ばれる人だった。ニューラという名のその女性は、20世紀のはじめにアムール川にほど近い大興安嶺の麓で生まれた。イナケンジという男性と結ばれて12人の子どもを産み、バラジェイさんは6番目の子どもだったという。

 「宗教とは迷信であり、人民の阿片である」というスローガンのもと文化大革命の時期にもっとも過激化した宗教政策のなかでは、成立宗教ではないアニミズム的な信仰を司るシャーマンもまた弾圧の標的とされた。ニューラさんは「政治教育」を受けさせられ、儀礼用の衣装や道具はすべて没収されてしまう*2。それでも人々は病気治しや狩猟の成功を願ってシャーマンに頼り、ニューラさんもまた監視の目をかいくぐって求めに応じた。

 しかし、ニューラさんが本当に恐れていたのは政府による弾圧ではなく、神に見放されてしまったことだった。ふさわしい衣装や道具なしに儀礼を行ったことを見咎めた神が、次々に彼女の子どもや娘婿の命を奪っていったのだという。しかしそれでも、彼女は人々の願いに応えて儀礼を行い続けた。それは祖先から代々伝わってきたシャーマンとしての義務であり、辛くとも投げ出すことはできなかったからだった。

 1995年、バラジェイさんは先に触れた『神の鹿、われわれの神の鹿(神鹿呀!我们的神鹿)』の取材班からテープレコーダーを譲りうけた。母であるニューラさんが語る物語や神話、儀礼のまじないや詩歌を録音し、残しておくために所望したのだという*3。ニューラさんは人生をかけて受け継いできた知恵をテープのなかに吹き込み、翌年の夏の暑い日の午後、役目を果たしたかのように目を閉じて死を迎えた。彼女が亡くなってしばらくすると、大木をもなぎ倒すほど強い風が吹き荒れた。偉大なシャーマンが、その献身によって神の許しを得たのだ。エヴェンキ人は、その意味をこのように理解したという。

 

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リューバさんの油絵 「伐採」 (写真撮影は筆者による)

バラジェイさんによると、フランスの環境をテーマにした絵画コンクールで入賞した作品だという

 

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リューバさんの獣皮絵 (2016年 、オルグヤ村エヴェンキ民族郷博物館で筆者撮影)

 

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*1:リューバさんは、「獣皮絵」の技法を思いついたときのことを語ってくれたことがある。ある夏、祖母を訪ねてキャンプ地を訪れたとき、長雨が続いてオルグヤ村に戻れず2週間ほど足止めされてしまった。スケッチブックを持たずに来てしまったので手持無沙汰だったが、祖母や母がヘラジカの毛皮で服をつくっているところ見ているうちに、ふとその模様の豊かさと美しさに気づいた。切り落とされた端切れを集めて組み合わせてみたら素敵なキャンバスになるのではないかと思ったのが、「獣皮絵」のアイデアにつながったのだという。

*2:2着あったシャーマンの衣装のうち1着はその場で燃やされてしまったが、もう1着は役人が持ち去っていったという。のちに黒竜江省文物館に保管されていることが分ったが返還はしてくれなかった。1998年には私も交渉に行ってみたが、やはりとりあってはもらえなかった。結果を伝えると、その衣装は「文物」なのではなくて母の魂の一部なのになぜ分かってもらえないのか、そう呟いてバラジェイさんは涙を流した。

*3:ニューラさんの声を吹き込んだテープは、私のエヴェンキ語の教材にもなった。たとえば、トナカイを探すときに口ずさむまじない歌などは、今でも諳んじている。

オノ(トナカイを探すという動詞)、オノ、オノ!

シ(トナカイを追うときの掛け声)、シ、シ、シ・・・

足が速い娘よ、私の呼び声を聞け

水溜りと深い谷間を見てきておくれ

川が蛇行するところ、山の裏側を見てきておくれ

9男9女(たくさんの人という意味)を支配する神よ!

貴方の力を貸して戴けないでしょうか

オノ、オノ、オノ!

シ、シ、シ、シ・・・

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