第58回 「地域に学び、地域とかかわる①」

 モンゴルでのフィールドスタディを実施しはじめてはや10年が経とうとしているが、私でかつて悩んだように、そして今でも悩むことがあるように、「地域に学ぶ」姿勢を学生に伝えるのは容易なことではない。私たちは異郷に足を踏み入れるとき、どうやっても色眼鏡を外すことはできない。世界のあらゆる文化には独特の価値があり、そこに優劣はない。いわゆる文化相対主義の考え方は、大学生であれば多少なりとも理解しているはずだろう。それでも、先進国と途上国、豊かな地域と貧しい地域、近代社会と伝統社会といった枠組みに頼って思考を組み立てようとする学生はたくさんいる。そうではなく、フィールドで体験したことをそのまま受け止め、自分とのかかわりのなかで現実を考えるわざを身に着けてほしい。そのために大切なのが、フィールドで出会う人の声に真摯に耳を傾けることなのだ。

 

伝説と今

 第56回連載で紹介したように、ウブルハンガイ県遊牧環境保護組合を創設したネルグイさんは、80歳を越えた今でも、地域の固有種であるツァガンボルガソ(群生地の地名で呼ばれる白い柳)の保護に力を尽くしている。歳月を感じさせる皺が刻まれた風貌は厳かだが、穏やかな口調で語る言葉は、いつも聞く人の気持ちを安らかにさせてくれる。ネルグイさんは、環境問題をなくそうとか、生物多様性を残そうという考えから柳を守っているのではないという。ネルグイさんが大切にしているのは、ツァガンボルガソという地域の歴史と宗教なのだ。この地域はかつて信仰の場だったが、その象徴となっていた白い柳が枯れていくのを見るのがつらくて、定年退職を機に植林を始めたのだった。

 ツァガンボルガソは、13世紀にダライ・ラマ3世が説法をした地だという伝説がある。ダライ・ラマ3世がチベットへと帰ってから3年後に白い柳が育ったことから、遊牧民たちが聖地として信仰し始め、家畜を放牧してはいけない場所となった。その後、17世紀にはウンデルゲゲンという高名なチベット仏教僧が、19世紀にはツェルワンツェグドルジェという仏教学の碩学がそこを訪れ、修行したのだという。しかし、1990年代にモンゴルが民主化してから、ツァガンボルガソは開発の波にさらされていく。遊牧民たちも冬場に家畜の餌場として利用し始め、夏に若者たちがキャンプをして火の後始末をしなかったことから何度も火事になり、白い柳はみるみる減っていった。かつて川沿いに2㎞以上にわたって広がっていた柳林は、10分の1にまで縮小してしまったのだという。

 ネルグイさんとその仲間の努力が実を結び、今では白い柳はかつての姿を取り戻し、野生のヒツジやキツネ、ウサギ、マーモット、そして種々の渡り鳥など、一度は姿をみせなくなっていた動物たちも戻ってきた。柳林の保護活動を見事に成功させたネルグイさんが、環境や生態系といった抽象的な言葉ではなく、信仰の地として象徴だった白い柳を取り戻したいという願いをもとに活動を始めたという語りを聞いて、学生たちはさまざまな表情を見せる。

 また、ネルグイさんはこの活動をさらに広げていくために環境に関するあらゆる分野の勉強を続けており、学生たちからも日本の環境問題について学ぼうとする。学生からすれば、ネルグイさんはおじいちゃんよりも年上かもしれない。そんな人が謙虚に学びを続ける姿は、学生たちの目にどう映ったのだろうか。すくなくとも、ネルグイさんという存在に「遅れた地域」に暮らす老人、という枠をはめることはできないだろうと思う。

 

輪廻

 連載55回に登場したゾンドンダンバさんも、学生たちに向けて人と自然、そして宗教について語ってくれたことがある。100歳を越えていたにもかかわらず、炎天下の日にお寺の前の階段に座って1時間以上もお話をしてくださった。2019年の夏のフィールドスタディでも再会を期したが、残念ながら体調が悪く外に出られないとのことで、私だけご自宅に伺った。手を握って話しかけると、「大阪大学の学生さんたちが来たんですか、ありがとうございます」と言い、多くを話すのもつらい様子だったにもかかわらず、学生たちに次のようなメッセージをくださった。

 またモンゴルに来てくれてありがとう。今年は雨が少ないですが、草原と遊牧生活を体験してください。そして厳しい言葉でも構いませんので、感想を聞かせていただければと思います。皆さんがモンゴルで学ばれたことは毎回報告書にまとめられていると聞きました。私は日本語がわかりませんが、孫やひ孫から聞かせてもらう機会があるでしょう。

 あらゆる存在は、生まれたら終わりに近づくことを意味します。永遠は私には想像がつきません。私は究極的な存在を意識するのではなく、その過程を大切にしたいです。終わりは終わりを意味しない、新しい始まりとしても理解できるからです。生はいずれは死に近づきますが、死は同時に新しい生を準備します。循環しているからこそ、お互いの意味が確立します。

 私は人生の終わりに近づいていますが、また生まれ変わり、生きた経験が新しい人のお役に立てるかもしれません。是非、生と死を結んで、このモンゴルの自然を理解していただけたらと思います。

  このときのフィールドスタディ参加者のほとんどは、ゾンドンダンバさんに会ったことがなかった。それでも、自らの死を見つめながらその先を語るゾンドンダンバさんの言葉には、何かを感じてもらえたのではないかと考えている。

 

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