第13回  図書館③「私はモンゴル人だった」

モンゴル語との再会 昼は図書館の閲覧室で働き、夜は「秘密の階段」を通って誰もいない書庫で読書を楽しむ日々が続いていた。閲覧室での仕事を教わっていたオルナーさんが、ある日モンゴル語で書かれた1冊の本を勧めてくれた。『ホホ・ソタル(青史)』とい…

第12回 図書館②「秘密の階段」

秘密の階段 芸術学校を卒業してシリンホトの図書館に就職した私は、夜になるとしばしばトイレの小窓から館内の雑誌閲覧室に忍び込み、明け方まで読書に没頭していた。ある晩のこと、少し眠くなって横になろうと思っていたところで、あつらえむきに新聞紙が敷…

第11回 図書館①「活字に飢えた人たち」

就職 1979年の夏、舞踏の発表会を無事に終えた私は、芸術学校からの卒業を目前にしていた。読み書きを覚え、本を読む楽しみや知識を得る喜びを知ってからは、もっと勉強を続けたいという気持ちが芽生えていた。しかし、シンバイル君など友人たちの受験に向け…

第10回 コラム①「本と出会う場所」

これまで本連載では私の少年時代を振り返ってきたが、今回は続きをいったんお休みし、本屋と図書館にまつわる本と思い出をいくつかご紹介したい。読者のみなさんに伝えたいこと、読んでもらいたい本が山ほどあって、本編だけではとてもお話しきれないからだ…

第9回 本との出会い④「小説から学んだこと」

▼前回の記事はこちらです 不安と希望 芸術学校の卒業を間近に控えるなか結核を患った私は、病室で隣り合わせた張さんから読み書きを教えてもらいながら入院生活を送った。当時は貴重だった輸入薬を処方してもらえたことで、病は順調に快方に向かっていた。張…

第8回 本との出会い③「読み書きを教えてくれた人」

▼前回の記事はこちらです 卒業制作 スタンダールの『赤と黒』と、張揚の『二回目の握手』。友人たちの朗読を通じて出会った小説はいずれも私を魅了し、世の中について考えるきっかけをくれた。ところが、週に1度の読書会を楽しみにどうにかやり過ごしてはい…

第7回  本との出会い②「朗読」

▼前回の記事はこちらです 『赤と黒』 1978年の秋、フフホトでの生活も3年目を迎えた。相変わらず読み書きは身につかないままだったが、幸いなことに友人に恵まれ、彼らの助けを借りてなんとか落伍することなく芸術学校に通い続けていた。とくに仲が良かった…

第6回 本との出会い①「街での暮らし」

束の間の母との暮らし 子ども時代を過ごした草原を後にした私は、シリンホトの街に住む母のもとで暮らしはじめた。本連載第2回で詳しく書いたように、私は乳飲み子の頃に政治的混乱に巻き込まれることを避けるため草原へと送られ、そのときから母とは離れば…

第5回 文盲に生きた時代④「草原との別れ、祖父母との別れ」

ウマのフフシンヘール 文化大革命がなお続いていた当時、放牧などの生産活動に必要な主だった道具や家畜は、人民公社ないし生産隊ごとに共同で管理されていた。私が暮らしていた地域でも、ウマの管理は政治的な“身分”のよい人のなかから選ばれた管理職員が担…

第4回 文盲に生きた時代③「遊牧の日々がつなぐ人と自然」後篇

ツァガンサル(お正月) これまでにも述べたように、1960年代から70年代にかけての中国では、物資に乏しく貧しい時代が続いていた。全国でたくさんの人々が栄養不良に陥り、飢えて死んでいく人も絶えなかった。そんな時代にありながら、私が暮らしていたトゥ…

第3回 文盲に生きた時代②「遊牧の日々がつなぐ人と自然」前篇

▼前回の記事はこちらです 家畜 政治学習の集会や家庭訪問調査にやってくる人民公社の幹部たちとの接触を除けば、コンシャンダック沙漠で過ごした幼い頃の世界に登場する人々、祖父母とトゥグルグ・アイルに住む4つの家族だけだった。しかし、日々の生活はそ…

第2回 文盲に生きた時代①「文化大革命の経験」

そもそも、なぜ私は文盲だったのか。読者のみなさんにそれを理解してもらうには、私が幼少期を過ごした頃の中国がどのような時代にあったのか、そこからまずお話しなければならない。 その頃の中国では、1966年にはじまった“文化大革命”と呼ばれる政治運動が…

第1回 はじまり

内モンゴルに生まれ、草原で育てられた私は、文字を知らないまま少年期を過ごした。正しくいえば、文字というものの存在は知っていたが、それはお坊さんや役人などごく一握りの人だけが操るかなり特殊なわざであって、私や私の周りにいた遊牧民の暮らしとは…

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